かめかめ・かめラ
大山道青山道:石倉橋付近
(神奈川県)
(2016/4/24)(記 2016/11/20)
青山道1:石倉橋分岐
大山道は石倉橋付近で合流する道が多いので、少しずついろいろな道を歩いていますが、今日(2016年4月24日)は青山道(戸田道、厚木道)を歩いてみましょう。
地図の石倉橋バス停から東へ伸びる実線の道を歩きます。
地図の赤矢印の場所です。写真の赤矢印の細い道を進みます。
旧道独特のカーブがあり、左側を小川が流れています。
ここで小川が左側から右側に変わります。
そば処 なか道の駐車場が見えてきました。
青山道2:庚申塔
地図の赤矢印の場所に来ています。
庚申塔がありました。
「この庚申塔は、伊勢原市三ノ宮竹ノ内五百九十一番地の、田中家の敷地にありましたが、道路造成用地となったため、田中家所有のこの土地に移設されたものです。
右の庚申塔は道標にもなっていて、
正面 「庚申塔」、向かって
左側面 「此方 かない道」(注:「かない」は平塚市金目のこと)
右側面 「**道 寛政九丁巳九月吉日 講中」
と彫られています。
左の立派な庚申塔は
正面に 「正徳四申午 天講中 奉造立
庚申供養塔 十月 大吉日九人」
と彫られています。
平成二十七年三月吉日」
これが庚申塔全景です。
こちらが向かって右側。
こちらが左側です。
青山道3:台の道標
地図の中程の台の道標に来ています。
この交差点です。
解説がありました。
「大山道と千石堰用水路
大山道
この道は東海道戸塚からの大山道と江戸青山から厚木を経ての大山道が下糟屋宿で合流した大山参詣道で、夏山祭礼中は大変賑わいました。
地元の人はこの道を「戸田道」「厚木道」「青山道」と呼んでいました。
千石堰用水路
この用水路は子易明神社の左斜めの大山川から取水して下糟屋の渋田川へ流れる灌漑用水であります。つくられた年代は定かではありませんが、小田原後北条時代または江戸初期かと思われます。
道標
正面 「上り 大山道」
右側面 「下り 戸田道、厚木道」
左側面 「寛政十一年未月六月 当村念仏講中」
裏側 「右ハ 田村道 左ハ むら道」と彫られています。
庚申塔
正面に、青面金剛像と三猿が彫られています。この庚申塔は道標にもなっています。
右側面 「享保六年 辛丑天 奉造立庚申供養」
左側面 「**大山道」と彫られています。
道祖神
悪疫の侵入を防ぐために村境に建てられますが、夫婦和合、出産など繁栄を願う男女の双体道祖神もあります。
平成二十七年三月吉日」
これが全景です。右の正面には「上り 大山道」がはっきりと読み取れますし、真ん中の庚申塔には青面金剛像と三猿が彫られているのがわかります。
右の右側面には「下り 戸田道、厚木道」と読み取れます。
こちらは左側面です。
青山道4:千石堰用水路
台の道標の少し南東(地図の赤矢印)にも看板が出ています。
案内看板には、
「用水路への石段
この千石堰用水路への石段は昭和四十年頃までは使われていました。農家の人達は、人参や大根など畑の作物を、この用水で奇麗に洗いました。また鍬(くわ)などの農具についた土なども洗いました。今でもこの千石堰用水は田畑の灌漑用水として大事に使われております。
製作 アド・おおやまみち」
と書かれています。
この石段が50年前までは実際に使われていたのですね。灌漑用水だけに、感慨ひとしおです(笑)
青山道5:大山道
さらに歩を進めます。
この交差点が地図の赤矢印の場所です。
少し進むと右に曲がっています。
そして今度は突き当たりを左に曲がります。ずっと千石堰用水路と沿っています。
左手には市光工業の大山寮が見えてきました。
地図の青矢印の場所にきました。
その先には「石倉 大山道 厚木」と大きな字で書かれた看板がありました。その左側には三所石橋造立供養塔があります。
説明書きには、
「大山道
この大山道は、江戸青山から、また東海道戸塚方面から大山詣りの人が歩いた参詣道で、土地の人は「戸田道・青山道」と呼んでいました。道に沿って流れる水路は大山を源流とする鈴川から引水した灌漑用水で「千石堰用水路」を呼ばれて、昔は小魚が泳ぎホタルが飛び交っていたといいます。この三所石橋造立供養塔は、ここの場所に作られたと思われる三ヶ所の橋を供養するために、洞昌院住職と村人達によって享和二年(一八二〇)に建てられました。
平成二十七年三月吉日
材料提供 伊勢原市森林組合
製作 アド・おおやまみち」
今回は、ここで終わりです。