かめかめ・かめラ
長良川鉄道紀行
(岐阜県)
(2016/9/17-19)

【2 郡上八幡・御嵩】

(2016/9/19)(記 2017/1/26)

長良川鉄道39:郡上八幡城

 さて9月19日だ。日付が変われば天気も変わるだろうと、安易に思っていたが、そうはいかない。今日も雨である。
 午前7時にチェックアウトし、フロントでタクシーを呼んでほしいとお願いすると「この地域は9時過ぎないとタクシーはやってない」とつれない答え。しょうがないので雨の中を歩き始める。


  途中白川郷を模した和食処があった。


  お地蔵さんもあった。


  石垣の中にこんな案内が。郡上八幡城しかないと思っていたら、尾壺城跡もあるのだ。城好きの人にはたまらないだろう。


  これが郡上大橋で、これを渡って左折する。


  郡上大橋から吉田川を眺める。


  吉田川親水遊歩道を歩いていると郡上八幡城が顔を出す。
長良川鉄道40:やなか水のこみち


  郡上八幡観光地図


  まず向かったのはやなか水のこみち。この路地を右に入る。

 
  こんな感じの小洒落た路地だ。


  お稲荷さんもあった。


  このこみちは手づくり郷土(ふるさと)賞などの受賞歴がある。
長良川鉄道41:昔の街並み1


  郡上八幡観光地図(再掲)


  明治時代の古い商家群らしい。


  食品サンプルは郡上八幡の名産品。さんぷる工房なるものがあった。


  宮が瀬橋を渡る。


 宮が瀬橋から吉田川を眺める。


  本町にやってきた。
長良川鉄道42:宗祇水(そうぎすい)


  郡上八幡観光地図(再掲)


  ニッキの飴の「肉桂玉」「黒肉桂」で有名な桜間見屋の脇を入る。

 
  路地の入口や頭上に宗祇水と書いてある。

 
  これが宗祇水だ。


  「この水は自然の湧水でこの地域の人々が昔から今日まで大切に飲料水・生活用水として利用している歴史のある綺麗な水です。ここを訪れられた皆様もこの水をどうぞ汚さないよう御協力下さい。」などなどと注意書きが書かれている。


  宗祇水から小駄良川を望む。
長良川鉄道43:昔の街並み2


  郡上八幡観光地図(再掲)


  大手町の郡上おどりの像。やはり郡上八幡はおどりの町。


  大正モダン建築(と言っていいのかな?)。

  
  職人町や鍛治屋町には大正期の古い街並みが残っている。

 
  郡上八幡の町の北西にある長敬寺。


  長敬寺から東へ向きを変えると風情のある空間が。 


  よくみると、亀がいた(笑)!
長良川鉄道44:郡上八幡博覧館・安養寺


  郡上八幡観光地図(再掲)


  ここが郡上八幡博覧館。郡上おどりの実演をみることができる。


  今度は柳町の古い街並み。

 
  こちらは安養寺。本堂がでかい!


  水の町郡上八幡には宗祇水だけでなく湧き水も多い。
長良川鉄道45:わらべ地蔵・神農薬師


  郡上八幡観光地図(再掲)


  こちらはわらべ地蔵。いろいろと見所が多い町だ。


  神農薬師。説明が書いてあった。

「神農薬師由来

 当町、市島林組の富豪治左エ門方に立ち寄った一巡礼が、厚いもてなしを受けたお礼に薬師如来を置いて立ち去った。
 天明元年(一七八一)その薬師如来を同地の竹林内に安置奉安した。その後、三二五余名の神農講会員により、昭和四年一月八日薬師如来をもらいうけ、同年七月二十八日の馬市を利用し、当巌窟に奉還して、入佛式を奉行した。
 尚、神農薬師は、商売繁盛の外、諸病、諸難一切を払い給うと言い伝えられ、多くの人々より信仰されている。毎年七月第三土曜日を祭礼日と定め、町内の住民により盛大な祭礼が行われている。」


  そして新橋を渡る。と、ここで猛烈な大雨となった。


  急いで新橋を渡り、左手の郡上八幡観光協会(郡上八幡旧庁舎記念館)へ駆け込み雨宿りする。(写真は雨が小降りになった時に撮影)


  ながら運行開始記念サイダーが売っていたので飲んだ。サイダー飲むのって久しぶりだ。
長良川鉄道46:いがわ小径

 雨が小降りになってきたので活動を再開する。


  郡上八幡観光地図(再掲)


  郡上八幡観光協会のすぐ東側にあるいがわ小径へ行く。


  「いがわ小径  

『いがわこみち』は、民家に囲まれた用水沿いに続く、長さ119.0m、幅1.0mの小さな生活道路です。  
この用水(島谷用水)は、市街地へと続いており、南側地域の防火用水として重要なものとなっています。  
水路には、周辺の有志の人達(いがわの会)によって、自主的に管理されている鯉や岩魚、あまご、サツキマス、鮎などが泳いでおり、目を楽しませてくれます。
 地元の人達は、洗い場組合をつくり、今でも洗濯物の濯ぎ、芋洗いや季節ごとの菜っ葉洗いなど、生活の一部としてこの水路を利用しています。
 水路と歩道による、この小さな空間は、今でもこうした人々の協力と、先人達からの知恵や昔ながらのルールに守られながら、愛され、親しまれています。
 この歩道の終点で石段を降りると、吉田川沿いが散策できる『吉田川親水遊歩道』の石畳へと続きます。」

 決して、井川遥とは関係ない(笑)


  さっそく小径を歩いてみる。いい雰囲気だ。


  洗い場らしき場所もあった。


  たくさんの鯉が泳いでいた。そういえば、今年(2016年)は9月10日に広島カープがセントラル・リーグ優勝を決めた。鯉の年である。


  いがわ小径からの帰り道、野口雨情歌碑があった。「今夜逢ひませう 宮ヶ瀬橋で 月の出ること のほるころ」と宮ヶ瀬橋からみる東殿山から出る月の美しさを舞台に、郡上踊りの始まりへの高鳴る期待を表現した歌を残している。
長良川鉄道47:郡上八幡駅


  郡上八幡駅に下ってきた。


  駅前広場にもこんなモニュメントがあった。


  駅舎に入ってしばし休憩する。


  昨日とは別の駅スタンプを発見した。「乗って残そう長良川鉄道  新しい観光拠点・郡上八幡葵の城」と書いてある。


  古いものを見つけた。右側は「昭和20年代の郡上八幡駅の旅客運賃表」だ。20円から1,180円まであるようだ。左側は「昭和10年代の深戸駅の貨物料金表」だ。車社会になるまでは貨物は貨物列車で運んでいたわけなのですね。


  ホームには郡上おどりの提灯が飾られている。


  そして駅舎の軒には大きな横断幕が飾られている。

長良川鉄道「ながら」美味しい、美しい、楽しい鉄道の旅  
ようこそ郡上市へ

 
  この跨線橋は昭和4年製である。


  郡上八幡駅で休憩しているうちに小雨になってきた。


  反対方向の美濃白鳥行き列車(郡上八幡9時36分発)が先にやってきた。
長良川鉄道48:郡上八幡〜深戸


  第6長良川橋梁からの眺め(郡上八幡〜相生)。


  第5長良川橋梁からの眺め(相生〜深戸)。


  今日もラフティングをやっている。

 
  昨日よりも流れが綺麗かな?

郡上八幡0938-1003みなみ子宝温泉 長良川鉄道 美濃太田行き
長良川鉄道49:深戸〜みなみ子宝温泉


  第4長良川橋梁からの眺め(深戸〜赤池)。


 第3長良川橋梁からの眺め(赤池〜美並苅安)。


 車窓から長良川を望む。

 
  みなみ子宝温泉駅に到着した。ここの駅舎が温泉になっていて、どういうわけか子宝の湯なのである。そうか、「みなみ」は「南」ではなくて「美並」なんだ。


  下車するときに運転手さんから渡された「みなみ子宝温泉駅降車証明書」だ。通常は600円の入浴料がわずか200円になるようだ。ラッキー!

郡上八幡0938-1003みなみ子宝温泉 長良川鉄道 美濃太田行き
長良川鉄道50:みなみ子宝温泉


  みなみ子宝温泉には露天風呂やサウナもありゆっくりできた。入浴後は休憩室でイチゴ味のソフトクリームを食べてくつろぐ。飲食のメニューは豊富である。


  駅舎に温泉ならではの名物はこの信号。列車の到着予定時刻の30分前になると青信号が点く。


  そして15分前には黄信号が灯る。


  5分前には赤信号だ。信号のある壁の向こう側がホームなので、赤信号になってから準備すれば十分に間に合う。


  ホームには円空仏も置いてあった。11時42分発の列車に乗ってみなみ子宝温泉を後にする。

みなみ子宝温泉1142-1217刃物会館前 長良川鉄道 美濃太田行き
長良川鉄道51:うなぎ丼@孫六


  刃物会館前駅で下車し、孫六へ向かう。


  一人で来店した旨を伝えたらなんだか秘密の部屋のようなカウンター席に案内された。こちらでは「うな丼」ではなく「うなぎ丼」というらしい。うなぎ丼の普通を注文した。


  山椒が好きな人はこれで潰して追加するらしい。


  しばらく待ってから出てきたうな丼、もとい、うなぎ丼。食べてみるとパリパリとした食感を感じる。関東では蒸してから焼くが、関西では蒸さずに焼くという違いがあるのかもしれない。


  丼の蓋の裏側にもうなぎが描かれていた。
長良川鉄道52:刃物会館前〜可児


  美味しいうなぎ丼に満足し、刃物会館前駅を出発する。


  美濃太田駅に到着した。これで長良川鉄道ともお別れだ。十分満足できた。

 
  さて美濃太田駅からは普通にJR(岐阜回りでも多治見回りでも)で名古屋へ向かうのも平凡である。そこでまずは太多線の可児駅で下車することとする。


  美濃太田駅を出発した列車は次の美濃川合を出ると木曽川を渡る。


  しばらくすると左から名鉄広見線が寄り添ってくる。JR太多線は単線、名鉄広見線は複線である。


  正面に見える駅はJRの可児駅。その左側には名鉄の新可児駅である。


  可児駅に到着した。可児駅を出て新可児駅に向かう。

刃物会館前1318-1336美濃太田 長良川鉄道 美濃太田行き
美濃太田1401-1408可児 太多線 多治見行き
長良川鉄道53:新可児〜御嵩


  JRの可児駅と名鉄の新可児駅は目と鼻の先である。

 
  新可児駅はスイッチバックになっている。この可児駅と接続するためなのか? また御嵩方面へ行くには改札を二度通る構造になっている。

 
  2両編成のロングシート。「終点の御嵩では2両目のドアは開きません」というアナウンスがあった。単線で電化されている。


  終点の御嵩の一つ手前の御嵩口駅にはホーム跡があった。以前は貨物営業もなされていたので構内は広い。

 
  御嵩駅に到着した。この列車は新可児〜御嵩をずっと往復しているようだ。なお2両目のドアは開かないということだったが、実際は開いていた。


  御嵩駅を出て周囲を散策しよう。

新可児1414-1425御嵩 名鉄広見線 御嵩行き
長良川鉄道54:足癒(あしゆ)@御嵩


  駅を出て右にいくと「御嵩宿さんさん広場」がある。

 
  その一角に「足癒(あしゆ)」があった。


  お湯ではなく、美濃焼セラミックを使った足癒である。

 
  こんな感じで足を入れると、確かにあったかい! お湯に濡れることもなく、足湯と同じような効果があるようだ。
長良川鉄道55:御嶽宿


  「中山道御嶽宿

 慶長五年(1600年)九月、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は直ちに宿駅伝馬制へと着手し、慶長七年(1602年)には中山道筋でもいち早くここ御嶽宿に「伝馬掟朱印状」を下したことから、重要な拠点とみなしていたことがうかがえます。
 御嶽宿は江戸から四十九番目の宿場にあたり、天保年間の「中山道宿村大概帳」には、宿内町並四町五十六間(約540メートル)、家数六十六軒(内旅籠屋二十八軒)、このほか本陣・脇本陣が各一軒、問屋場、高札場などの存在が記載されています。
 宿場は西端の天台宗の古刹大寺山願興寺から鉤の手を抜けて東へと続き、大名や公家あるいは一般庶民の通行とともに、情報や文化の交流する場所として大いに賑わいました。
 御嵩町・御嵩町観光協会」  ところで、御嵩駅と御嶽宿の「たけ」の字は違っている。どうしてだろう?


  こちらが御嶽宿の様子。


  天保十三年(1842年)の御嶽宿の家並み図。確かに天台宗の願興寺が西端になっている。


  ここが大寺山願興寺。


  そして御嵩駅に戻ってきた。

御嵩1459-1510新可児 名鉄広見線 可児行き
長良川鉄道56:名鉄広見線・犬山線


  新可児駅に着いた。御嵩行きホームの列車を望む。


  普通列車の中部国際空港行き。これに乗る。


  車両の最後部から撮影。複線(電化)が名鉄広見線で、右側の単線(非電化)がJR太多線。


  太多線をオーバークロスして広見線は西へ向かう。この後、犬山で特急豊橋行きに乗り換えて名鉄名古屋を目指す。

新可児1514-1534犬山 名鉄広見線 中部国際空港行き
犬山1537-1602名鉄名古屋 名鉄犬山線 特急 豊橋行き
長良川鉄道57:味噌煮込みうどん

 名古屋駅の新幹線ホーム側の地下街エスカにある山本屋本店に寄って味噌煮込みうどんを食べよう。


  いつもは混んでいるこのお店も、中途半端な時間帯だから空いている。海老天入り味噌煮込みうどんを賞味。


 熱々で八丁味噌の効いた味噌煮込みうどんは相変わらずの美味しさだ。

 その後、新幹線と小田急線を乗り継いで帰ってきた。
名古屋1727-1836小田原 東海道新幹線 ひかり528号 東京行き 自由席
小田原1842-1913伊勢原 小田急線 急行 新宿行き

9/19
郡上八幡0938-1003みなみ子宝温泉 長良川鉄道 美濃太田行き
みなみ子宝温泉
みなみ子宝温泉1142-1217刃物会館前 長良川鉄道 美濃太田行き
孫六 うな丼
刃物会館前1318-1336美濃太田 長良川鉄道 美濃太田行き
美濃太田1401-1408可児 太多線 多治見行き
新可児1414-1425御嵩 名鉄広見線 御嵩行き
御嵩1459-1510新可児 名鉄広見線 可児行き
新可児1514-1534犬山 名鉄広見線 中部国際空港行き
犬山1537-1602名鉄名古屋 名鉄犬山線 特急 豊橋行き
山本屋総本店 味噌煮込みうどん
名古屋1727-1836小田原 東海道新幹線 ひかり528号 東京行き 自由席
小田原1842-1913伊勢原 小田急線 急行 新宿行き
【1 美濃・北濃・美濃白鳥】  【2 郡上八幡・御嵩】