かめかめ・かめラ
伊豆下田紀行
(静岡県)
(2017/1/8-9)

【2 定期観光バス】
(2017/1/9)(記 2017/9/16)

伊豆下田紀行13:翌日


 今日は昨日と違い雨は降っていませんがまだどんよりしています。


 南国らしいアロエの花です。


 チェックアウトする頃には青空が見えてきました。
伊豆下田紀行14:伊豆急下田駅


 伊豆急下田駅まで送迎バスで送っていただきました。


 駅前には時計台がありました。
 
 開国の湯という足湯がありました。ちょっと温まりました。


 駅前のバス乗り場です。
伊豆下田紀行15:下田港遊覧船  

1番乗り場から、定期観光バス(すいせんコース)に乗りました。10時05分発です。これからの予定は、下田港遊覧船(25分)→玉泉寺(20分)→爪木崎(50分)→宝福寺(20分)→下田ロープウエイ到着後解散となっています。

2017/1/9
伊豆急下田駅前1005-1250伊豆急下田駅前 定期観光バス 水仙コース


 まず下田港から黒船のサスケハナ号に乗ります。


 船内の様子です。


 出発前から、かもめが集まってきています。


 海上保安庁巡視船「かの」が停泊しています。


 毘沙子島(みさごじま)です。
 
 運航中もかもめが餌を求めて集まってきています。


 吉田松陰が隠れていた弁天島です。
伊豆下田紀行16:玉泉寺1


 次の目的地は玉泉寺です。


 ここはハリスが領事館を開設した場所です。


 こちらがその建物です。


 これは牛乳の碑です。初めて牛乳が飲まれたのでしょうか。


「日本最初の屠殺場の後(屠牛木)
 当時、領事館員の食料のため仏手柑樹の幹に牛を繋ぎ屠殺せるもの、昭和6年4月8日東京牛肉商の手により牛王如来を建立し供養す。樹は枯れたためハリス記念館に保存す。
 後世村人は屠牛木と云う。」


 米国総領事旗掲揚之地


「英文碑面訳
 1956年9月4日(安政3年8月6日)初めて日本帝国の一角に領事旗を掲げ翌年11月23日までこの地に居住し1858年7月29日江戸条約によりて日本の門戸を世界に開きたる、米国総領事タウンセンド・ハリス記念の為此の碑を建つ。
※最後に下田を去りたるは1859年6月30日なり
   1927年9月4日
   建立者 子爵 渋沢栄一
   故駐日米国大使 エドガー・エー・バンクロフト
   シカゴ市民 ヘンリー・エム・ウルフ
    ★          ★          ★
 1856年9月4日 木曜日(ハリス日記より)
 興奮と蚊のため、ひじょうに僅かしか眠れなかった。蚊はたいへん大きい。午前7時に水兵たちが旗棹をたてに上陸した。荒い仕事。はかどらぬ作業。円材が倒れて、横桁が折れる。幸に誰も怪我はない。とうとう艦から加勢をうける。旗棹が立った。水兵たちが、それを廻って輪形をつくる。そして、この日の」午後2時半に、この帝国におけるこれまでの「最初の領事館」を私は掲揚する。厳粛な反省〜変化の前兆〜疑いもなく新しい時代がはじまる。敢えて問う、、、、日本の真の幸福になるだろうか?、、、
伊豆下田紀行17:玉泉寺2


 こちらはハリス記念館入口です。


 「ハリスも飲んだ おいしい牛乳」が売っています。ハリスも飲んだって、どこまで本当かな?
 
 カーター米大統領が来訪したようです。

「Jimmy Carter
27 June 1979
President of USA」
「米国大統領来訪記念碑
アメリカ合衆国ジミー・カーター大統領(39代)
昭和54年(1979年)6月27日玉泉寺来訪
随行者
ロザリン・カーター夫人
エミー・カーター嬢
サイラス・R・ヴァンス国防長官
W・マイケル・ブルメンソール財務長官
ツビグネフ・ブレジンスキー大統領補佐官」


 ペリー艦隊乗組員のお墓がここにあります。日本初の外人墓地ということです。
 
「黒船(ペリー艦隊)乗組員の墓所
 1854年3月31日(嘉永七年三月三日)日米和親条約が神奈川で調印されると、下田は即時開港され、黒船(ペリー艦隊)七隻が下田港に入港した。日米和親条約付録条約第五条により、玉泉寺境内にアメリカ人用の埋葬所が設けられた。日本最初の外人墓地である。

本堂側から向かって右の墓石より
一、「ジェームス・ハミルトン」の墓
   合衆国海軍軍医准尉 享年 三十八歳
   1854年9月6日 サスケハナ号にて航海中死亡
二、「G・W・パリッシュ」の墓
   ポーハタン号水兵 享年 二十一歳
   1854年5月5日 下田港にて死亡
   コネチカット州へブロン郡生れ ポーハタン号にて
   雷鳴激しき日に任務中マストより転落死
三、「ロバート・ウィリアムズ」の墓
   ミシシッピー号海兵隊員 享年 二十四歳
   1854年3月6日 江戸湾にてミシシッピー号上で死亡
   横浜の増徳院に埋葬されたが、その後、当所に改葬された。
四、「アレキサンダー・デューナン」の墓  
  ミシシッピー号海兵隊員 享年 不詳  
  1858年7月31日 下田港にて死亡
五、「ジョン・D・ストーム」の墓
   ポーハタン号の火夫 享年 二十七歳
   1855年2月2日 下田港にて死亡」
伊豆下田紀行18:爪木崎


 爪木崎へやってきました。


 金目鯛の形をしたゴミ箱です。


 ちょっと見にくいですが、柱状節理が見えています。


 爪木崎灯台です。


 灯台の先に小さな島が見えます。


 アロエの赤が目立ちます。


 しかし主役はこちらの水仙です。水仙が群生しています。


 売店では干物などを売っていました。
 
 温室があり、亜熱帯の植物を鑑賞することができます。
伊豆下田紀行19:宝福寺


 宝福寺です。坂本龍馬の像があります。この宝福寺で龍馬の脱藩が許されたそうです。


 こちらが唐人お吉の本物のお墓です。


 こちらはお吉を演じた女優さんが建てた立派なお墓です。


 ボケよけ地蔵です。面白いものがありますね。


 長寿の亀の石造です。甲羅に座ると長生きできるとか?
伊豆下田紀行20:寝姿山


 下田ロープウェイに到着して解散です。早速ロープウェイで寝姿山山頂を目指します。
 
 遊覧船で回った下田港が眼下に見えます。
 
 寝姿地蔵がありました。
「寝姿地蔵の由来
 ここに安置されている150余体のお地蔵様は、平安時代(約800年前)の作と言われ、京洛や高野の古蹟から勧請したもので、衆生制度のためのいろいろと力添えして下さるありがたい仏様です。寝姿地蔵のご利益によって心の雲をはらい、明るい楽しい人生を送れるようご信仰下さい。

山かげに あかき椿や 野の仏」


 愛染明王堂です。


 蝋梅が咲いていました。
伊豆下田紀行21:むさし1


 BSフジの「百年食堂」で取り上げられていたむさしで昼食です。1915年創業です。
 
 レトロな店内です。


「むきたての   さざえ うれしい   しもだ港」
頭文字をとると「むさし」と店名になるんですね。素晴らしいです!
 
 いろいろな花が飾られています。祝100周年の花も見られました。
伊豆下田紀行22:むさし2
  
 メニューは豊富です。


 まずは自家製のイカの塩辛。肉厚のイカがおいしいです。


 こちらはおろしうどんです。


 これはカツカレーうどんです。


 これはさざえ丼です。

 百年食堂の老舗の余裕で心もお腹も満腹になりました。
伊豆下田紀行23:帰路


 帰りは特急踊り子114号で小田原まで行きます。
 
 向かって右側は伊豆クレイル、左が特急踊り子114号です。


 次男の嫁が冷やしみかんを差し入れてくれました。気がきく嫁です。
 
 相模湾の景色を見ながら、そしてうとうとしながら自宅へ向かいました。天気には恵まれませんでしたが、楽しい一泊二日の旅でした。

2017/1/9
伊豆急下田1504-1646小田原 伊豆急行線・伊東線・東海道線 特急踊り子114号
小田原1700-1733伊勢原 小田急線 急行
【1 伊豆クレイル】  【2 定期観光バス】