かめかめ・かめラ
三陸鉄道リアス線全線開通
(青森県ー岩手県)
(2019/9/14-16)
【1 本八戸ー久慈ー宮古】
(2019/9/14-15)(記 2020/2/22)
01東京へ
2011年の東日本大震災で運休になっていたJR東日本の山田線(宮古ー釜石)が、経営を三陸鉄道に移管され、2019年3月23日に運行再開となった。
これにより久慈ー盛の163Hがつながり「三陸鉄道リアス線」が誕生した。
記念のタオル
そこで2019年9月14日〜16日に三陸鉄道の旅に行ってきた。今回は三連休東日本・函館パスを利用した。
三陸鉄道全線もフリーパスエリアに含まれる。
土曜日の午前中の仕事を終え、小田急線で都内へ向かう。今回の旅は妻と一緒だ。本厚木からロマンスカーで新宿へ、そして中央線の快速で東京駅に到着した。東京駅地下のGRANSTAに寄ってみよう。
かなり賑わっていて、人気店には行列ができていた。私たちは何も買わずに様子をみていた。そろそろ新幹線の出発時刻が近くなってきた。
15時20分発の東北新幹線はやぶさ27号新函館北斗行きに乗る。この列車は盛岡までこまち27号秋田行きと連結して走る。
はやぶさとこまちの連結部には写真を撮る人などで賑わっていた。
伊勢原1328ー1335本厚木 小田急線 急行
本厚木1338ー1427新宿 小田急線 特急ふじさん4
新宿1435ー1448東京 中央線
02 グランクラス
妻に忖度して(笑)なんとグランクラス! 贅沢な時間を味わうことになった。
アテンダントの説明があり、軽食をいただく。
献立表もあり、安心できる食材のようだ。
ソフトドリンクやお茶だけでなく、アルコールも無料だ。純米大吟醸の日本酒をいただく。
食後には緑茶とおせんべいでまったりとする。
車内はこんな感じ(写真撮影時はトンネル内)で、落ち着いた空間である。
東京1520ー1813八戸 東北新幹線 はやぶさ27
03八戸ー本八戸
東京から3時間弱で八戸に到着。まだまだ乗っていたい気がする居心地の良さだった。
新幹線から在来線に乗り換える。
八戸から鮫(さめ)までは「うみねこレール八戸市内線」と称しているようだ。
車内は混んでおり座れず。最前列で車窓を楽しむ。
本八戸に到着。多くの乗客が下車した。ここは八戸市街地の最寄り駅で、以前は八戸駅(当初は八ノ戸と表示)だった。今の八戸駅は1971年4月までは尻内(しりうち)駅だった。
構内には「八戸・青森・東京方面」と記されている。確かに「東京方面」ではあるがちょっとアバウトすぎる気もしないではない。
駅舎には行書体(?)で書かれた駅名表示があった。
本八戸駅からホテルまでは登り坂を徒歩で12分ほど。
八戸1822ー1830本八戸 八戸線
04本八戸1
夕べはホテル近くの居酒屋で地元のつまみを食べながらお酒を楽しんだ。
今朝もホテルから本八戸駅まで歩いて移動する。途中に立派な門があった。八戸城角御殿表門である。
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県重宝 八戸城角御殿表門
ここは、寛政年間には角(すみ)御殿と呼ばれていた。寛政4年(1792)御者頭煙山治郎右衛門がここに居住し、八戸城にふさわしい門と玄関を立てるように命ぜられた。門はその5年後に建てられ、その時の棟札が残されているが、資金繰りの苦心談が八戸藩日記にうかがわれる。
昭和53年、風雪のため倒壊したとき、毘沙門天像が門の冠木の中央から発見された。像高3.6センチの小さなものであるが、精巧な像で、棟札にも「奉修毘沙門天秘法」とあることから創建時のものであることが知られる。この寛政九年の棟札の他に、嘉永4年(1851)、明治42年(1909)修理の棟札もある。
昭和55年、創建当初の形に復原した。門の構造は棟門といわれ、通常は二本の柱の上部を冠木でつなぎ、切妻屋根をのせるものであるが、この門の場合は、四本の柱を一列に並べて冠木でつなぐ大規模なもので、平衡を保つため裏側に二本の支柱を取付けるという特異な構造となっている。
昭和57年3月 八戸市教育委員会
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「この門は八戸城の一部らしいですよ」という、テレビのモヤモヤさまーずのナレーションのようなコメントがあった。斬新である。
住居表示をみると、このあたりはなるほど内丸である。
しばらく行った右側には法霊山●(おがみ)神社があった。ここは八戸三社大祭発祥の御宮だそうだ。
また源義経がしばらく住んでいたという伝説もあるようだ。
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「伝説」源義経 北方コース
おがみ神社
悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経は兄の頼朝に追われ文治5年(1189)4月平泉の高館において31歳の若さで自害したといわれている。
短く華麗だったその生涯を想い、後世の人々は「義経はその前年にひそかに平泉を脱出し、北をめざして旅にでた」という伝説を作りあげたのである。
世に言う「判官びいき」であろう。
ひそかに北へ逃れた義経は、八戸に上陸し市内の高館に住んでいたといわれる。
元久年間(1205)義経夫人(京の久我大臣の姫君)が亡くなり京ケ崎に葬り、法霊(りょう)大明神とあがめられた。おがみ神社がその場所だといわれており、八戸の義経伝説の記録「類家稲荷大明神縁起」が所蔵されている。
公益社団法人 八戸観光コンベンション協会
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05本八戸2
モヤモヤさまぁ〜ず風の表示があちこちにあった。
・この辺は昔、お城だったらしいよ
・縄文土器の文様は、縄をころがして付けられてるらしい
・冬のお祭り「えんぶり」の期間中、ここは酒場になるらしいよ
・三社大祭は、おがみ神社が発祥らしいです
・八戸では、「いらっしゃい」のことを「おんでやぁんせ」って言うらしい
・ゴスペラーズの北山さんは、八戸出身らしいよ
・八戸線には、77ヶの踏切があるらしいよ
・はっちは ←あっち らしいよ
・昔この通りはモボとモガが闊歩したオシャレな通りだったらしいですよ
・もうすぐJAZZが流れるカフェに生まれ変わるらしいよ
・八戸は東京以北で一番日照時間が長い!らしい
本八戸駅に戻ってきた。
・三八城公園は江戸時代に八戸城があった所らしいよ
・本八戸駅が明治27年に開業した時は、「八ノ戸駅」だったらしいよ
・八戸は、「本のまち八戸」らしいですよ
7時22分発久慈行きの列車に乗る予定だ。
車内はこんな感じで新しい車両のようである。2列と1列の座席で海側の座席に座ることができた。
06本八戸ー久慈
進行方向右手の海側に蕪島が見えてきた。ここはウミネコの繁殖地であるが今日はウミネコの姿が少ない。繁殖時期が過ぎてしまったようだ。
190915蕪島
このあたりは八戸線沿線の景勝地の一つの種差海岸付近であるが、林に阻まれて絶景な車窓というわけにはいかない。
大蛇(おおじゃ)駅に到着。Ojaと英語表記が短い。
ここは宿戸ー陸中八木間の車窓風景。
こちらは陸中八木ー有家間の車窓風景。八戸線からの車窓風景も意外と美しい。
本八戸0722ー0857久慈 八戸線
07あまちゃんハウス
久慈駅到着は定刻通りの8時57分。もう少しで九時だった(笑)。
八戸線久慈駅のスタンプ。北限の海女の駅と書いてある。
こちらがJR久慈駅の駅舎。
久慈駅前には文字通りの駅前デパートがある。あまちゃんの撮影では北三陸観光協会の事務所が入っている設定になっていたようだ。
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北三陸観光協会
ビル3階に、北三陸観光協会の事務所が入っている設定。“北三陸をなんとかすっぺ(K3NSP)合同会議”が行われた設定となっています。駅前を見渡せる場所として度々劇中に登場。アキたちが作った「北三陸鉄道」「北限の海女」「潮騒のメモリーズ」3種類のデザインをモチーフにした看板が健在しています。
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駅から徒歩2ー3分のところにあまちゃんハウスがあった。
あまちゃんで使われた小道具や衣装がおいてある。しかしテレビを見ていなかったので、今一つ感慨が大きくない。
あまちゃんハウスから道の駅くじ・やませ土風館へ行く途中に柔道の三船久蔵十段の像があった。
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三船久蔵十段 出生の地
三船久蔵は、明治16年(1883)に旧久慈町で生まれました。
明治29年(1896)久慈尋常高等小学校(現:久慈小学校)を卒業、明治30年(1897)宮城県第二中学校(通称:仙台二中)に入学し、この頃初めて柔道と出会い次第に頭角を現しました。
明治36年(1903)に上京、嘉納治五郎が設立した講道館に入門、昭和20年(1945)には講道館最高位である十段に昇りつめました。三船久蔵62歳の時でした。現在まで十段昇段者は15人しかおらず、三船久蔵は4人目の十段昇段者です。
身長159B、体重55Lの小兵ながら、「空気投げ(隅落し)」など究極の技を編み出しました。生涯を通じて柔道の発展に尽力し数々の業績を残し、昭和29年(1954)久慈市名誉市民第1号となりました。
昭和40年(1965)1月27日、永眠。82歳の生涯でした。
ここは、三船久蔵の生家があった場所です。三船十段記念館には三船久蔵の資料が展示され、その業績を知ることができます。
2015年8月 久慈市・久慈市教育委員会
三船久蔵十段出生地記念碑建立事業実行委員会
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すごい人がご当地出身なんですね。
08うに弁当
道の駅くじ・やませ土風館に立ち寄った後、久慈駅に戻る。
こちらが三陸鉄道久慈駅舎である。
駅前にはこんなパネルがあった。
あまちゃんのロケ地である説明があった。
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北三陸駅
北三陸鉄道、通称“北鉄”。第一話でアキが降り立った駅で、北鉄開通や震災からの復興セレモニーのくす玉割りの場面、物語の出会いや別れの場面など重要な場面で登場します。劇中の「うに丼」は駅内の三陸リアス亭がモデル。
三陸鉄道
東日本大震災で大きな被害を受けましたが、震災2日後には一部運行を再開。2014年に全線で運行再開など、劇中にもその物語が描かれています。市民に愛されているローカル鉄道で、2019年3月に久慈駅から大船渡市盛駅までの163Hが繋がり、名将はリアス線と命名。第3セクター鉄道では日本で一番の長さ。久慈駅は、リアス線の北端であり、駅の愛称は「琥珀いろ」。鉄道むすめである「久慈ありす」は第1回鉄道むすめトーナメントで優勝しています。
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駅舎の向かい側の建物には写真のような看板があった。全線開通を待ち望んでいたのでしょうね。
三陸鉄道久慈駅の駅そば店であるリアス三陸亭で、電話で予約しておいたうに弁当を受け取る。
うにがぎっしりと詰まった美味しいお弁当である。
駅舎内はあまちゃん関連グッズが所狭しと陳列されていた。
三陸鉄道久慈駅が「琥珀の国 入国管理局」にもなっている(笑)
これらも駅スタンプである。
09久慈ー野田玉川
改札を入り跨線橋を渡りホームへ向かう。
三陸鉄道のホームから跨線橋とJRのホームを眺める。
列車入線前にかなりのお客さんが待っていた。
実った稲が緑の絨毯のように美しい(久慈ー陸中宇部)。
陸中野田ー十府ヶ浦海岸では新たに長大な防潮堤が築かれていた。
ここは2017年3月25日に開業した十府ヶ浦海岸駅。かなり海に近い場所にある。
そして野田玉川駅に着いた。
久慈1040ー1218宮古1228ー1309織笠 三陸鉄道リアス線
10野田玉川ー宮古
列車は安家川橋梁をわたっていく。ここは景勝地なので車窓を楽しめるように列車は一時停車する。うれしいサービスだ。
190915b安家川橋梁
あまちゃんのロケ地でもある堀内駅から港の眺めである。ドラマでは「袖ヶ浜駅」として使用していたようだ。
もう一つの景勝地である大沢橋梁。ここでも列車は一時停車する。
190915c大沢橋梁
東日本大震災で大きな被害を受けた島越駅。線路や駅舎を新しくした。
島越駅近くの海岸方面。以前は海水浴場として人気があった場所らしいが、今ではその面影もなく、防潮堤などの再整備が粛々と行われていた。写真中央やや下に見える階段は震災以前の駅へ行く階段である。
ここは摂待駅。面白い名前である。ちなみに駅周囲には料亭も居酒屋もなかった(笑)。
宮古駅に着いた。ここで10分間停車して釜石へ向かう。宮古から釜石までは、今まではJR山田線の一部だったが、今年の春から三陸鉄道になり8年ぶりに運行を再開した区間だ。
久慈1040ー1218宮古1228ー1309織笠 三陸鉄道リアス線
【1 本八戸ー久慈ー宮古】
【2 宮古ー釜石ー花巻】