かめかめ・かめラ
三陸鉄道リアス線全線開通
(青森県ー岩手県)
(2019/9/14-16)

【2 宮古ー釜石ー花巻】
(2019/9/15-16)(記 2020/2/22)

11宮古ー織笠


 同じボックスに座っていた地元の方に教えてもらったが、今日は宮古では町のお祭りがあるらしい。宮古駅を出発すると、それらしき雰囲気が味わえた。


 次の駅は磯鶏駅。「いそけい」ではなく「そけい」と読む。車内には立っている人も多く、車内を移動することは躊躇われたので座席からずっと車窓を眺めることにする。半年前に8年ぶりに運行を再開した区間だと思うと、鉄ちゃんとしては感無量となる。地元の人たちにとっても大きな喜びだったと思われる。


 新しい八木沢・宮古短大駅をすぎ、津軽石駅。津軽地方との関係はないようだ。


 払川駅をすぎて次は豊間根駅。次の陸中山田駅まで11.1Hもある。


 陸中山田駅に着いたがここでは下車しない。


 次の織笠駅で下車した。


190915d織笠駅出発

久慈1040ー1218宮古1228ー1309織笠 三陸鉄道リアス線
12山田秋祭り

 織笠駅からは陸中山田駅まで徒歩で一駅戻る。歩いた方が地元のこともよくわかるし、この駅間は1.2kmと短い。


 途中のコンビニでアイスを食べたりしながら20分ほどで山田町の中心地へ着いた。海沿いでは防潮堤の建設が進み、その内側は写真のように区画整理だけがされていた。高台には新しい家も見えている。この土地に家が建つことはいつになるだろうか? あるいはあるのだろうか?


 公園ではこちらもお祭りをやっていた。


 三陸山田の祭り天国である。


 小さな子も楽しめる遊具がある。


 いろいろな出店も出ていた。




 ここで「カキくし焼き」と「シュウリくし焼き」を買い二人でシェアする。ちなみにシュウリとはムール貝のことだった。




 シーフードお好み焼きと焼きそばもシェアし、これが昼食となった。


 ステージでは釜石ベンチャーズがベンチャーズのナンバーを演奏していた。

織笠1315ー1340陸中山田 徒歩
13陸中山田駅


 お祭りの広場の近くのセブンイレブンの裏に高台(御蔵山)がありそこに鎮魂と希望の鐘があるので見に行く。こちらは消防殉職団員慰霊の碑である。


 東日本大震災についての看板があった。

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2011年3月11日に発生した東日本大震災について
大震災発生日時 2011年3月11日 午後2時46分
日本全国の死者・行方不明者数 19,294人
    2012年1月11日現在(警視庁まとめ)
岩手県内の死者・行方不明者数 6,035人
    2012年1月11日現在(岩手県まとめ)
山田町の死者・行方不明者数   743人
  被災家屋    3,357棟(46.6%)
    2012年1月10日現在(山田町まとめ)

2012年3月11日 国際ロータリー第2520地区 山田ロータリークラブ
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 山田町でも743人もなくなっており約半数の家屋が被災していた。




 旧陸中山田駅舎にあった大時計は津波のあった3時27分で止まっていた。

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この大時計について
 2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の歴史的大地震が東日本太平洋沿岸一帯を襲った。それに引き続いて発生した大津波は山田町に襲いかかり、被災したJR陸中山田駅の駅舎上に設置されていた大時計は津波による被災時刻の3時27分を指したまま止まっている。  
山田ロータリークラブの創立記念行事として、昭和46年に当時の国鉄陸中山田駅舎上に設置されていたものである。この大震災の規模と大きさと威力を如実に示すものであり、ここに展示し後世の防災の教訓とする。

2012年3月11日 国際ロータリー第2520地区 山田ロータリークラブ
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 これが鎮魂と希望の鐘である。東日本大震災からちょうど1年後の2012年3月11日に建立されている。


 5分ほど歩いて陸中山田駅へ向かう。


 新しくかわいらしい駅舎に生まれ変わっている。


 5日後の9月20日から始まるラグビーワールドカップ2019日本大会は釜石でも試合が開催される。「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」というキャッチコピーがいい!


 陸中山田駅の駅名標。


 ホームから釜石方面。


 ホームから宮古方面。


 三陸鉄道リアス線(盛駅ー久慈駅)全線開通ののぼり。

陸中山田1451ー1515吉里吉里 三陸鉄道リアス線
14陸中山田ー吉里吉里


 車窓からも区画整理された土地がよく見えた。


カキなどの養殖のいかだが浮かぶ山田湾。東日本大震災前にこの路線を乗った時にもこの山田湾の風景が目に焼き付いていた。


鯨と海の科学館。最寄り駅は岩手船越駅。


 本州最東端の駅の岩手船越駅。


おだやなか船越湾を車窓から眺めることができる。


 浪板海岸駅から今夜の宿「三陸花ホテルはまぎく」が見えた。最寄り駅は浪板海岸駅だが、もう一つ先で下車して徒歩でホテルに向かう。








 吉里吉里駅で下車する。ここは井上ひさしの小説「吉里吉里人」のゆかりの場所でもある。
15吉里吉里ーホテルはまぎく


 吉里吉里駅から三陸花ホテルはまぎくまで約1.5kmを歩く。歩くとすぐ海側に大きな防潮堤があった。向こう側にかすかに海が見える。


 こちらはこれから防潮堤が建設される場所。


 防潮堤がないと海がこんなに近くにきれいに見える。


 車用の案内看板だが、徒歩の私たちにとってもうれしい看板である。


 ホテルのすぐ上側の駐車場の脇には石碑があった。

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暁穹への嫉妬  1925.1.6
 薔薇輝石や雪へのエッセンスを集めて、
ひかりけだかくかがやきながら、
その清麗なサファイア風の惑星を
溶かそうとするあけがたのそら   宮沢賢治
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 石碑の横には下記のような説明書きがあった。

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2011年3月11日 東日本大震災で大槌町は壊滅的被害にみまわれ多くの貴い命を失った。生き残った私たちは亡くなられた人たち、これから生まれてくる子どもたちに、どう生きるかを示す責任がある。私たちは宮沢賢治の「利他の精神」がその道しるべになると考える。ここに大槌と関わりの深い「暁穹への嫉妬」を建立し顕彰する。
 2016年8月27日 大槌宮沢賢治研究会
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 震災以前の浪板海岸の写真もあった。このような白い砂浜が広がっていたようだ。震災と地盤沈下で砂浜がなくなってしまった。

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浪板海岸
 かつては南北800mに白い砂浜が広がり、松林や青い海のコントラストが印象的な三陸を代表するマリンレジャーの海辺でした。
 また、寄せる波はあっても返す波がないという世界でも珍しい「片寄せ波」の海岸としても知られておりましたが、東日本大震災による津波と50Bもの地盤沈下により砂浜の大部分を消失しました。
 再び海水浴はマリンスポーツを楽しむことができる美しいビーチに戻すために、いろいろな取り組みや研究が行われており、海岸の復活に大きな期待が寄せられています。
 大槌町商工観光課
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 かなりの高い場所だが、ここまで津波がやってきたようだ。恐ろしいことだ。

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「津波到達の地」
 今次の震災が永久に教訓となることを願ってこの地に建立する。
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 ホテルの海側には砂浜はもうない。


 普段はのどかでおとなしい恵みの海だが、津波の時には恐ろしい海に変貌するのだ。

吉里吉里1520ー1550浪板海岸(ホテル) 徒歩
16ホテルはまぎく・夕食


 ホテルについた。入口には鵜住居復興スタジアムでラグビーワールドカップの試合をするカナダとウルグアイの国旗があった。(9月25日の試合ではウルグアイが30対27で格上のフィジーに勝利した。カナダ対ナミビアの試合は10月13日の予定であったが台風19号の影響で中止になった。残念!)


 フロントと同じ高さに庭園がありそこには平成の架け橋があった。このホテルには平成天皇も宿泊したようだ。

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平成の架け橋

第17回全国豊かな海づくり大会 記念
行幸啓 平成9年10月5日
天皇皇后両陛下 お泊り所

東日本大震災復興の架け橋
第71回国民体育大会 希望郷いわて 国体記念
天皇皇后両陛下 お泊り所
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 ここに砂浜が広がっていたのとは信じがたい。




 夕食は海の幸が中心の美味しいもの。満足!


 卓上にはリアス線開通記念の三陸鉄道山田の醤油があった。


 こちらはホタテとムール貝(?)の焼き物。




 松茸の釜めし。そういえばホテルまで歩いている時に周囲には赤松が目立っていた。


 食事のおともに熱燗をいただいたが、そこには「浪板観光ホテル 健康亭」とあった。昔はそういう名前のホテルだったようだ。
17浪板海岸駅


 翌朝は小雨。朝食が終わり歩いて浪板海岸駅へ向かう。道路が新しくなっていてスマホの地図が頼りにならず、高低差もありちょっと駅を見失いそうになった。軽自動車に乗った地元の人に道を聞いてたどりついた。といっても徒歩5分くらいである。


 高台にある駅にも津波到達の地の石碑があった。

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「津波到達の地」
 今次の震災が永久に教訓となることを願ってこの地に建立する。
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 その横には明治時代の津波のことが書かれた石碑があった。こうやって次世代にリスクをちゃんと伝えていたのだということがわかる。


 さらにその横には東日本大震災備忘の碑がある。

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東日本大震災備忘の碑
 千年後への伝言 波板の人たちへの伝え
 2011年3月11日14時46分 東北地方太平洋沖を震源とするM9.0の東日本大震災が発生し、それによる巨大津波によって大槌町では1,200人を超える町民が犠牲になりました。浪板地域においても消防団活動をしていいた団員3人と人的被害として22人が亡くなりました。また住家や農地、漁業者の舟や施設も被害を受けました。被災当日から6月末日まで浪板支援促進センターでの被災生活となり、その間世界各国の人々は沖縄から北海道の国民の皆様から支援援助を受けたこと、また大学生や長崎大学医療班等の皆様からの治療支援があったこと、多くの会社は職業人、自衛隊岩手駐屯地の空からの空輸救援活動があったことを忘れないで欲しい。 津波襲来時刻 同日15時16分 波の高さ 約20メートル
 被害状況 人的には25人死亡 物的には住家 被住家71棟
      田畑や漁業施設、山田線浪板海岸駅ホーム、国道45号線流失損壊
      浪板海岸砂浜や松林の消失
 地震が起きたら津波が来ると思え。高台に避難し解除が出されるまで戻らない。今次の震災が永久に教訓となることを願ってこの地に建立する。
 平成30年12月吉日建立 波板地域復興協議会
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 内容を読むと、改めて大きな災害であったと再認識する。


 浪板海岸駅名標。


 先ほどの石碑が三つ並んで車窓からも見えた。
18浪板海岸ー大槌


 吉里吉里駅を過ぎると大槌駅が近くなる。海沿いにはここにも巨大が防潮堤が建設されている。





 大槌川の河口では水門も築かれている。逆流を防ごうというのだろう。




 大槌駅舎は新しくなりひょっこりひょうたん島を模したものになった。大槌湾に浮かぶ小さな蓬莱島がひょっこりひょうたん島のモデルになったという云われがある。

浪板海岸0855ー0927釜石 三陸鉄道リアス線
19大槌ー釜石


 大槌の次は鵜住居駅である。ここにも防潮堤がある。「未来へトライ」とは鵜住居復興スタジアムで開催されるラグビーワールドカップを意識しているのだろう。


 鵜住居(うのすまい)駅の愛称もトライステーションである。


 なんだか鉄ちゃん率が高い。列車行き違い時間を利用して写真を撮っている(もちろん私も)。


 こちらが駅舎で、ホームに比べるとかなり立派な駅舎である。


 ホームからちらっと鵜住居復興スタジアムの観客席の屋根が見える。隣に座っていた地元の方の話では、小中学校があったが被災してしまいその跡地がスタジアムになったということだった。


 対抗列車のラッピングはラグビーワールドカップ仕様となっていた。


 釜石駅に近づいてきた。構内には転車台があった。SL銀河のためのものであろう。


 釜石駅に到着。


 こちらが三陸鉄道の釜石駅である。


 通常運行は3月24日に開始されたようだ。




 表も裏もラグビーワールドカップ万歳!である。

浪板海岸0855ー0927釜石 三陸鉄道リアス線
20釜石ー花巻




 JR釜石駅のスタンプ。釜石大観音やSL銀河が記されている。


 こちらがJRの釜石駅。列車ごとの改札が行われている。




 3両編成の快速はまゆり4号に乗る。


 定刻に釜石駅を出発した。写真右側は三陸鉄道の線路、左側はJRの線路になるが、元々はともにJRだったためかなり密接につながっている。


190916釜石駅出発


 この右側が宮古方面の三陸鉄道(旧JR山田線)である。快速はまゆり4号は左側の線路を進む。

釜石1014ー1158花巻 釜石線 快速はまゆり4
21マルカンビル大食堂


 花巻駅からタクシーでマルカンデパートへ向かう。ここの6階にあるマルカンビル大食堂でランチタイムとする。


 エレベータで6階へ上がると券売機前には大行列。階段に並んで並んで最後尾は4階だった。ここまで人気があるとは知らなかった。祝日の12時過ぎだし仕方がないか。マルカンビル大食堂は6階だが2階から5階には店舗がない。一度閉鎖されたマルカンデパートだが、大食堂の復活を望む人たちの活動のおかげでマルカンビル大食堂は再営業となった。詳しい話はネットで確認を。素晴らしい行動力だと思う。

 30分ほど並んで食券を買いテーブルに座る。広い食堂が確かに満員である。


 これが有名なソフトクリーム。目の高さまである。何も知らない妻はビックリ! 噂は知っていた私もややビックリ。ここまで大きいとは! やや硬めなクリームなので、箸で食べることができる。これでなんと230円! コストパフォーマンスがすごい!




 私はナポリかつ870、妻はみそラーメン580を頼んだが、シェアしながら食べた。満足、満足!
22花巻・帰路


 マルカンデパートの近くには宮沢賢治の生家があった。現在は親戚の方が住んでいるので見学はできない。


 花巻駅まではぶらぶら歩いて帰るとする。途中に季節・小料理 亀 という居酒屋を発見。さすがに昼間なので営業していなかった。


 花巻駅に到着。


 ラグビーワールドカップまであと4日となった。


 試合の開催日には快速ラグビー釜石が4編成投入されるようである。


 花巻からは東北本線で一ノ関へ向かう。当初は釜石ー(三陸鉄道)ー盛ー(大船渡線BRT:バス)ー気仙沼ー(大船渡線)ー一ノ関として、一ノ関から新幹線を予定していた。しかし雨模様の天気だったのと、やはりできるだけバスは利用したくなかったので、花巻経由でマルカンビル大食堂での昼食を選択したのである。

新幹線に乗るには新花巻駅から乗ってもいいのだが、東京到着は同じ時刻なので、いろいろな列車を楽しめるこのルートにした。


 花巻駅のホームにはこんな穴あきパネルがあった。


 跨線橋から北上・一ノ関方面を望む。


 跨線橋から盛岡方面を望む。


 駅名標


 14時46分発の一ノ関行き2両編成の列車に乗る。


 一ノ関から東北新幹線やまびこ52号に乗車。そして仙台ではやぶさ28号へ乗り換えて18時過ぎには東京へ到着した。

 三陸鉄道リアス線がつながったのでそれに乗りに行ったのだが、期せずして復興にはまだまだ時間がかかりそうな地元の様子も実感してしまった。

花巻1446ー1535一ノ関 東北本線
一ノ関1550ー1622仙台 東北新幹線 やまびこ52
仙台1630ー1804東京 東北新幹線 はやぶさ28
2019/9/14
伊勢原1328ー1335本厚木 小田急線 急行
本厚木1338ー1427新宿 小田急線 特急ふじさん4
新宿1435ー1448東京 中央線 特別快速
東京1520ー1813八戸 東北新幹線 はやぶさ27
八戸1822ー1830本八戸 八戸線

2019/9/15
本八戸0722ー0857久慈 八戸線
久慈1040ー1218宮古1228ー1309織笠 三陸鉄道リアス線
織笠1315ー1340陸中山田 徒歩
陸中山田1451ー1515吉里吉里 三陸鉄道リアス線
吉里吉里1520ー1550浪板海岸(ホテル) 徒歩

2019/9/16
浪板海岸0855ー0927釜石 三陸鉄道リアス線
釜石1014ー1158花巻 釜石線 快速はまゆり4
花巻1446ー1535一ノ関 東北本線
一ノ関1550ー1622仙台 東北新幹線 やまびこ52
仙台1630ー1804東京 東北新幹線 はやぶさ28
東京1812ー1826新宿 中央線 特別快速
新宿1923ー2026伊勢原 小田急線 急行
【1 本八戸ー久慈ー宮古】  【2 宮古ー釜石ー花巻】