かめかめ・かめラ
石巻、再び
(宮城県)
(2011/8/18-21)
【2 石巻周辺の様子】
(2011/8/19)(記 2011/11/15)
8月19日の行動地図
石巻市内から万石浦沿いを通り、女川町へ着いた。
女川町地図 ◇ 女川町立病院
女川町は原発マネーがあるためか施設が豪華である。高台にある町立病院はとても立派である。
宮城県市町村地図:2005年3月31日まで ◇ 同 2005年4月1日から
平成の市町村合併によって、石巻市の市域は拡大した。しかし原発がある女川町はどことも合併せず、独立したままである。いかに原発マネーの影響が強いかの証明であろう。周囲はすべて石巻市なのである。
マリンパル女川 ◇ 女川:高台に民家
それはそうと、町立病院から港方面を見ると、マリンパル女川(女川町地図の中央海沿いの黄色い○)が見え、その手前に横になった建物が見えた。民家は平地にはなく、高台に散見されるだけで、行き交うダンプ以外に人影は少ない。
【女川町】
町立病院の駐車場から町内を眺める。この駐車場まで津波が来たという。信じられないことだ。
女川駅:赤線は線路があるべき場所
石巻線の終点である女川駅(女川町地図の中央やや左上の黄色い○)はホームの残骸があるから駅と判別できるものの、レールも駅舎もない。無残である。
女川駅
女川を出て北へ車を走らせ石巻市雄勝に向かう。
女川〜雄勝の道路
雄勝へ行く途中は道路の修復中であり、片側交互交通の場所もあった。
雄勝地図 ◇ バスon建物
湾の向こう側に町立病院が見える。機能不能に陥った病院だ(病院の写真は無し)。地図の青い○のあたりの、建物の屋上にバスが乗っかったままである。
再掲:8月19日の行動地図
大勢の生徒が亡くなった大川小学校に慰霊碑ができたというので手を合わせようと思い、そこを目指すが新北上大橋の補修工事の影響か通行止め(地図中央やや右の黄色い×)で行けなくなっている。しかたなく大きく西へ迂回して南三陸町へ向かう。
新北上大橋 ◇ 古川橋
新北上大橋から10kmほど上流(西)の古川橋で北上川を渡る。
味噌ちゃんぽん@武蔵 ◇ がんばっぺ石巻
14時過ぎていたので武蔵といううどんや(地図中央やや左の黄色い×の近く)で昼食。私は味噌ちゃんぽん、妻は天ぷらうどんを食べた。
余震
そして北上川の左岸(北側)を海に向かっている時に地震があったようだ。最大震度5弱だが運転中だったので全く気づかず。神奈川に住む友人からのメールで知った次第だ。その後運転中に広報車とすれちがう。「津波警報発令中」とアナウンスしていた。
北上川と旧北上川
北上川は昔から氾濫を起こすことが多かったので、新たに水路を作り、東側に流れるルートを作った。これが現在の「北上川」である。それまでの北上川は「旧北上川」と呼ばれている。大川小学校は「北上川」沿いにあり、地形の影響もあり、大きな被害にあったと考えられる。
北上川河口
北上川河口をGoogleMapでみると、地盤沈下の様子がよくわかる。今まで陸地だったところの一部が海になっている。
内陸に船 ◇ 枯れた樹木
ところどころ枯れた樹木が目立つ。津波での塩害でもあるのだろうか?
やっと南三陸町に着いた。ここは志津川町と歌津町が合併した町だ。町全体も民家は平地にはなく、ボランティアの人々とダンプの往来以外に動きは少ない。
南三陸町地図 ◇ 公立志津川病院
70人以上の方がなくなった公立志津川病院。見渡す限りメチャメチャである。
南三陸町災害防災庁舎
地図の中央やや下の黄色い○の場所です。ここで町の職員が最後まで避難を呼びかけていたのですね。
南三陸町災害防災庁舎の津波の様子
南三陸町ホームページに掲載してあった写真だ。
サンポート
地元のスーパーだろう? この屋上にも何人か避難していた。
町並み ◇ ひまわり
民家があったと思われる場所に、草が生えてきていた。緑が多くなっている。自然は偉大だ。
志津川駅は、女川駅と同様にホームの残骸はあるもののレールや駅舎はなく、無残な姿をさらしている。
再掲:南三陸町地図 ◇ 志津川駅
地図の中央やや左の黄色い○が志津川駅だ。駅舎は流されてしまっているが、ホームへの入口は残っていた。
連絡通路の正面にはごらんのような壁画があった。 ◇ ホームへの階段を上がる。手すりが壊れている。
これがホームである。本来なら赤い線をひいたように線路があるはずなのだが・・・ ◇ こちらもホームだ。線路が見えない。
駅であったことはわかるが、それにしても無残である。 ◇ 手すりが壊れている。物凄い破壊力だ。
その後、道の駅津山(もくもくランド:木製品が多い)で休憩して、三陸道で松島へ移動し、松島センチュリーホテルに宿泊した。
もくもくハウス ◇ 木製の亀
【1 石巻市内】
【2 石巻周辺の様子】
【3 キャンナスと活動】