かめかめ・かめラ
伊勢原古地図めぐり(2)
(神奈川県伊勢原市〜厚木市)
(2015/1/18)
【2 西富岡村】
(記 2015/6/15)
伊勢原古地図めぐり2-6 三本松
地図の(4)に戻り、(7)を目指します。
右側に神奈川県酪農業協同組合連合会の建物があります。
その前のバス停の名前は共済会館入口です。共済会館って神奈川県酪農業協同組合連合会のことでしょうか?
イタリアンのアルベロベッロやいろいろな飲食店が集まったポポロ広場が左側にあります。
東名高速が見えてきました。
左側には東海大学の職員寮のりんどう寮が見えてきました。
バス停もズバリ、りんどう寮前です。
地図の(7)の場所の三本松交差点です。昔はきっと目印になるような三本松があったのでしょう。今ではどこを見渡しても名残もありません。
伊勢原古地図めぐり2-7 川上橋
地図の(7)から(8)(9)へ向かいます。
東名高速の橋脚には川上橋と名前がついています。
東名高速をくぐった先の信号が川上橋交差点です。地図の(8)の場所です。
交差点の脇にはサークルKが、そしてその向こう側には大山の勇姿が現れます。
右側には三光寺があります。
古地図の(9)のところから西に分岐している道です。昔からあったのですね。
この川は渋田川です。
伊勢原古地図めぐり2-8 推測の分岐
さて、地図の(10)の場所が難しいのです。古地図では、(10)から真北へ行く道と、一度北西へ分岐してから北へ行く道が分かれます。真北へ行く道は、その後登り坂となり標高100m以上となることがわかります。この道を新地図でトレースすると宮下を抜け専修大グラウンドや総合運動公園へ行く道だということがわかりますが、それから先はありません。開発された時に廃道になってしまったのでしょう。
古地図と新地図とを比べると、真北へ行く道の途中から北西へ分岐している様に見えます。そこで真北へ行く道を進み、左側に分岐する道の跡があるかどうか探しましたが、すでに民家が建っており、わかりませんでした。今の道をまっすぐに進むことにします。
(10)の近くに川上バス停があります。
ここを右に行く道が、古地図での真北へ行く道になるのです。だいぶ変わってしまったようですね。
伊勢原古地図めぐり2-9 西富岡(1)
地図の(10)から(11)へ進みます。
新しい道なので、まっすぐです。
大山もきれいに見えます。
左側には大きな駐車場のあるセブンイレブンがあります。
その先には第二東名(新東名)高速道路事業予定地の看板が立っています。
工事の前に、埋蔵文化財発掘調査が行われるようです。工事の遅れが気になります。
このような建物の基礎だけが残った光景は、昨年三陸鉄道の旅で津波の被害としてたびたび目にしてきましたが、こちらは高速道路工事のためのものなので、原因が全く異なります。
ここのバス停は専修大学入口です。
その先の信号が西富岡交差点です。地図の(11)の場所です。
ここから日向薬師へ向かう道(西へ向かう道)は古地図にも載っています。
伊勢原古地図めぐり2-10 西富岡(2)
さて、(11)から(12)へ向かいましょう。
おっと、民主党の後藤祐一衆議院議員です。高校の後輩です。もっともっとがんばってください。
古地図のカーブにも忠実に沿っています。
ちょっとわかりにくいのですが、古地図に点線で描かれている道をみつけました(黄色矢印)。真北へ行く道との近道として利用されていた可能性があります。新地図には載っていません。
左側には植木のドリームガーデンがあります。
伊勢原古地図めぐり2-11 八幡神社
地図の(12)の場所が八幡神社です。
その手前に西(左側)へ分かれる道があります(黒矢印)。これは古地図にも新地図にも載っています。
八幡神社の入口です。
鳥居の向こうに大山が見えます。
本殿でしょうか。
石碑に「西富岡八幡神社の由緒」が書いてあります。
明治6年(1873年)7月に相模国大住郡西富岡村の村社と定められましたが、明治23年(1890年)に全焼してしまい、明治27年(1894年)に本殿、明治33年(1900年)に神楽を再建しました。などの歴史が刻まれています。
道路際にある巨木の切り株はなんのためのものでしょうか。ご神木だったのでしょうか?
【1 伊勢原村】
【2 西富岡村】
【3 分れ道付近】
【4 玉川地区】
【5 小野村】