かめかめ・かめラ
大山道 矢崎道
(神奈川県)
(2016/1/10)

【1 平塚駅〜中原】

(2016/1/10)(記 2016/10/27)


矢崎道1:伊勢原駅

 古道めぐりも、大山道(おおやまみち)を歩くという新しいジャンルに入りました。今日は2016年1月10日(日)です。今回は、「大山道」の中の「矢崎道」をJR東海道線平塚駅から小田急線伊勢原駅まで歩いてみます。


日曜の朝の伊勢原駅は大山への登山客で一杯です。 


神奈中バスでも、大山直行の臨時バスを増発していますが、それでも行列が時には伊勢原駅構内の改札口までつながることもあります。大山人気恐るべし!です。


江戸時代から大山詣は落語にも登場するほどポピュラーな旅になっており、そのために各地から大山へ向かう道がたくさんありこれらを総称して「大山道」と呼ぶのです。「大山道」にはそれぞれ名前がついており、青山道(矢倉沢往還)、中原街道大山道、保土ヶ谷道、柏尾道、田村道などとなっています。今回は平塚駅から伊勢原駅を結ぶ大山道の一つの矢崎道に沿って歩いてみました。


拡大図です。図の中央に小さいですが「矢崎道」というのが記載してあります。平塚新宿→追分→中原→豊田本郷→矢崎→岡崎→伊勢原の順路です。


さらにわかりやすくしたのがこちらの図です。


平塚駅から大山山頂までの総距離は22.6kmですが、伊勢原駅までは8.5kmくらいになると思います。

このルートは、伊勢原ー平塚間の路線バスの行程とかなり重なっており、どうしても疲れた場合はバスに乗って帰って来ればよいという初心者向きのルートです。

矢崎道2:平塚駅

神奈中バスで伊勢原駅南口から平塚駅北口まで移動します。


さぁ、平塚駅北口から行動開始です。


これが平塚駅北口の駅ビルラスカです。


平塚は囲碁のまちとしても知られています。


平塚駅北口からまずは西へ向かいます。地図のラスカから西へ、梅屋と書いてある下を左へ歩きます。写真の細い路地がそのルートです。


突き当たりを北へ向かいます。地図ではステーション道と書いてあるあたりです。東京から平塚へ列車で移動し、平塚駅で下車してから大山へ向かうルートです。当然ながら東海道本線が横浜から国府津まで延伸したことに伴い、1887年(明治20年)に平塚駅が開業してからの比較的新しいルートです。小田急線が開通し伊勢原駅が開業した1927年(昭和2年)までのメインルートだったようです。

矢崎道3:ステーション道


地図を再掲します。


地図のステーション「道」の時の右側にある交差点です。


左(西)を見ると「あけましておめでとうございます。紅谷パールロード商店街振興組合」という横断幕があります。


地図の(2)のあたりの左側には大黒庵があります。日本そば屋ですが、ほとんどの人がラーメンを注文しています。いなか仁さんが旧東海道徒歩の旅においでいただいた時に、ここで二人でラーメンを食べました。


同じく右側には中秋があります。さつま揚げのお店ですが、おでんだねが絶品です。


地図の(3)の交差点です。旧国道1号線です。


右(東)を見てみました。


左(西)を見てみました。日曜日の朝なので人通りはまばらです。

矢崎道4:八幡大門通り


地図の(3)から(4)の平塚八幡宮へ向かう八幡大門通りを歩きます。


右手には東横インの駐車場があります。


石柱に八幡大門通りと書いてあります。


説明板がありました。

 「八幡大門通り・浜大門通り」
 「八幡大門通りは八幡神社(現平塚八幡宮)の表参道で、東海道までの区間を指します。明治20年(1887年)平塚停車場(現平塚駅)開業以来、平塚新宿に商店が建ち並びはじめました。最初は停車場付近の厚木道を浜大門通りが繁昌し、次いで八幡大門通りに中心が移り、大正中期から東海道筋に変わりました。」
 「浜大門通りは八幡大門通りから南へ向かう通りで、昔は海まで続いていました。平塚停車場ができてから、この浜道は遮断され、商店が建ち並ぶようになると“停車場西通り”と呼ばれ繁昌しました。」


さらに北へ向かいます。


八幡大門通りのちょうど中央部です。


右側に酔心という日本酒の美味しそうなお店がありました。


国道1号線に突き当たりました。ここは横断禁止になっています。


そのため右折して宮の前交差点の歩道橋で向こう側に渡ります。

矢崎道5:平塚八幡宮1


地図の(4)の平塚八幡宮です。


今日も天気に恵まれました。


大鳥居です。中へ入ってみましょう。


池にはアヒルが泳いでいました。


今日は1月10日ですが、まだ謹賀新年のままです。


さらに鳥居が続きます。


本殿につきました。

矢崎道6:平塚八幡宮2


地図を再掲します。(4)の平塚八幡宮にいます。


「神武天皇遥拝所」と書いてあるのでしょうか。平塚八幡宮に来るのは初めてですが、なんだか歴史のあるお宮さんなのですね。

追記:「遥拝所(ようはいじょ)」とは、遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むために設けられた場所です。


こちらの石碑には「天◯皇大◯」と書かれており、左右に春日大神、八幡大神と書かれています。ますます由緒正しき神社であることがわかります。


この平塚八幡宮の森はかながわの美林50選の一つだそうです。


今日は1月10日ですので、4日後にどんどやきをやるそうです。私が子供のころは1月14日はどんどやきの日でしたが、今でも各地域では行われているのでしょうか? どんどやきの正式名称は左義長神事というんですね。


安産・女性の守り神の浅間社と、疾病・性病除けの神の道祖神が並んでいます。


横綱 武蔵山の説明書きがありました。地元出身の力士なのか、と思って読んでみると、「横浜市出身」と書いてあります。26歳で33代横綱に推挙されたのですね。ネットで調べると、横浜市日吉出身で悲運の横綱だったことがわかります。でもどうして平塚八幡宮にあるのでしょうね。

矢崎道7:平塚八幡宮3


地図を再掲します。


敷地内に幼稚園がありました。


赤い幟に囲まれた道を歩いて行くと、、、


途中に金運・芸能・美容の神の弁財天社がありました。


西側の出口に来たところで、振り返ってみました。


湘南ひらつか 七福神めぐりと書かれたカラフルな幟がありました。

矢崎道8:八幡山公園


平塚八幡宮に別れを告げて八幡山公園に向かいます。(6)(7)を通って(8)へ行きます。


地図の(6)あたりから(7)方面の写真です。


入り口の大きな石に八幡山公園と刻まれています。


ここは平塚八景の選ばれているようです。ちなみに平塚八景とは、平塚砂丘の夕映え、湘南潮来、森の前鳥神社、湘南平、霧降りの滝・松岩寺、七国峠・遠藤原、金目川と観音堂とこの八幡山公園です。


看板に由来が書いてありました。

「相模国八幡庄の総鎮守であった平塚八幡宮が鎮座する八幡山は、昔から景勝の地であった。戦後、浅間町の近隣公園としてこの公園は造成され、中心街の公園では最大の広さの1.60ヘクタールである。八幡宮の森とともに緑豊かなオアシスとなっており、園内には平和の慰霊塔、戦災復興事業完成記念碑がある。なお、平成21年4月には、国の登録有形文化財(建造物)である旧横浜ゴム平塚製造所記念館が移築・復元工事を経て開館した。この明治時代の洋館は、公園内の四季の変化を反映して美しい姿で佇み、日没後にはその夜景を楽しむことができる。」

洋館にも寄ってみましょう。


公園の全景です。


公園の反対側の入り口にもこんな看板?がありました。

矢崎道9:平和慰霊塔


現在(8)の八幡山公園にいます。


公園の裏側には平和慰霊塔がありました。


かなり高い慰霊塔です。


平和慰霊塔の記です。「本市は明治以来幾たびかの戦争において尊い命を捧げられた犠牲者のみ霊を慰めその冥福を祈るために昭和三十八年一月平塚市戦没者慰霊施設建設準備委員会を設けここに市民の浄財と市費をもってこの慰霊塔を建立した。・・・・・・・」と書いてあります。

矢崎道10:旧横浜ゴム平塚製造所記念館(洋館)1


地図の(8)の八幡山公園です。


こちらが旧横浜ゴム平塚製造所記念館の洋館の裏手です。洋館といっても、栗や芋などではありません(笑)


これが洋館の横顔。


こちらが洋館の正面像です。綺麗な建物ですね。館内に入れるでしょうか?

矢崎道11:旧横浜ゴム平塚製造所記念館(洋館)2


入館無料です! もちろん入館します!


こんなパンフレットもいただきました。


パンフレットに書いてあった平面図です。赤い矢印から入りました。




こちらは進行方向左側にある応接室です。こんな立派な椅子だったのですね。




こちらは第2会議室です。


スタンプもありました。

矢崎道12:平塚戦災復興事業完成記念


郵便局前交差点の(9)に来ました。


平塚戦災復興事業完成記念碑がありました。




記念碑のプレートには 「平塚市は昭和20年7月16日の空襲により市の中心部と工業地帯を含む314ヘクタールが被災しました。この壊滅的な打撃を受けた平塚市を再建するため昭和21年9月県市あげて平塚都市計画事業土地区画整理事業に着手以来復興の意欲に燃える市民各位を中心に関係者協力一致、多くの苦難を克服し21年の歳月と総工費11億円を費やして、ここから南に展開する新しい平塚が誕生いたしました。 昭和42年3月記」と記されています。

矢崎道13:イチョウ並木通り


地図の(9)から(12)の方向へ進みます。


郵便局前交差点から平塚郵便局をみたところです。


地図の(12)の場所です。本来の大山道矢崎道はここから左へ折れていたようですが、現在ではその痕跡がありません。


ここはイチョウ並木通りという名前です。


地図(13)の交差点です。


横断歩道を渡って少し戻ると、海軍火薬廠の跡の碑があります。


「ここを正面に四十余万坪の地は海軍火薬廠の跡である。同廠は明治三十八年日本政府と英国アームストロング、ノーベル、チルウォースの三会社との契約により設立された日本爆発物製造株式会社を大正八年海軍省が買収したものであって、爾来昭和二十年まで日本海軍の火薬技術の中心として数多い功績を残すと共に平塚市の発展と文化に多大な貢献をしたところである。ここにその事績を偲びこの碑を建てる。」
昭和四十九年秋日  海軍火薬廠跡の碑建立の会

矢崎道14:立野町1


また横断歩道を渡り(13)から(14)へ向かいます。


地図の(14)の場所です。ここを左折します。


この路地をまっすぐ行きます。


まっすぐ行くと突き当たってしまうので、ここを右折します。


右折するとさらに細い路地が続きます。


赤い矢印の路地に入ります。さらに細くなってきました。

矢崎道15:立野町2


地図の赤矢印のあたりです。


自然に左にカーブしています。なんだか旧道らしい雰囲気です。


今度は右にカーブしています。暗渠になっているということは、昔はここに川が流れていたのでしょうか?


地図の青矢印の場所です。ここを右折します。


地図の(15)の場所です。


目の前の幹線道路を渡り、その先の細い道に向かいます。

矢崎道16:追分交差点


地図の(15)→(16)→(19)と進みます。


地図の(15)(16)の場所です。きれいな旧道分岐角(勝手に命名)になっています。


駐車場の一角に道標がありました。文字は読み取れませんでした。


自然なカーブで細い道が繋がっています。


幹線道路に突き当たりました。目指す道は正面に見えていますが、横断歩道がないので(20)の追分交差点まで戻ります。


その前に地図の(17)に寄ってみます。白鷺塚と書いてあります。


北原白秋の「白鷺の白鷺の飛べば夕日の高麗寺 月になるやら風ぢややら」という平塚音頭の一節の歌碑があります。だから白鷺塚なのですね。


追分交差点の手前のこのあたりに、昔は横丁ラーメンという隠れ家的なラーメン屋さんがありました。懐かしいなぁ。


追分交差点は地下道がありますので、それを利用します。

矢崎道17:富士見町・諏訪町


地図の(19)から(21)(22)を通って赤矢印まで行きましょう。


地図の(21)あたりの場所です。緩やかな自然なカーブが続いています。


地図の(22)の場所です。正面のフェンスの向こうは平塚江南高校です。ここを右折します。




江南高校沿いの道の歩道にはところどころ「ひと休みいす」が置いてありました。


この先、ゆるやかに左へカーブしています。


赤矢印の場所です。

矢崎道18:中原下宿


地図の赤矢印の場所です。


ここから道を渡り細い路地をちょっと入ります。


次に左に曲がると視界が広がります。




地図の(25)の角に道祖神がありました。古いものと新しいものが並んでいます。塀の向こう側は(24)の慈雲山慈眼寺です。


慈眼寺の南側の入口です。


幹線道路にぶつかりました。


慈眼寺の西側の入口です。こちらが正面入口のようです。

矢崎道19:中原御殿


慈眼寺から(26)(27)方面へ行きましょう。




地図の(26)の中原宿高札場跡です。左へ行くと大手道(中原御殿)、右へ行くと中原街道(御酢街道)と道標がありました。




説明書きがありました。

「中原宿の高札場は、徳川家康の築いた中原御殿に向かう大手道と中原街道の交わる位置に設けられていました。高札場とは幕府などから出された禁令を木の札に書き掲示した場所のことです。「中原御宮記」(長谷川雪堤画)を見ると土台を石垣で固めて柵を結い、高札が掲げられる部分には屋根がついていました。 平成15年(2003)三月 平塚市」


バス停名はその名もズバリ「中原御殿」です。


もう少し進んだ右側の(27)の場所に大松寺がありました。


こちらが本堂です。


大松寺の入口には六地蔵がありました。

矢崎道20:さつき食堂


時刻は10時30分過ぎですが、なんだかお腹が空いてきました。でもまだ飲食店は営業していないだろうと思いましたが、目の前に営業中の食堂がありました! 地図の赤矢印の場所です。


その名もさつき食堂です。ためらわずに店内に入ります。


常連さんらしき人たち4-5人が楽しそうにビールを飲んでいます。ちょっと引きましたが初志貫徹です。メニューには麺類、チャーハン・チキンライスに丼物とまさに大衆食堂です。ビールも飲みたかったのですが、自重してラーメンを注文しました。




ラーメンはシンプルなものでした。お腹を満たして、さぁ再出発です。
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