かめかめ・かめラ
大井川鐵道オフミ
(静岡県)
(2018/3/31-4/1)

【2 大井川鐵道へ】
(2018/4/1)(記 2018/6/22)

10島田〜金谷:大井川鐵道オフミ

4月1日(日)


 今朝も快晴だ。朝食を取ってからホテルの前で記念写真を撮り、島田駅に向かう。


 浜松行きがやってきた。


 島田をでるとすぐに大井川橋梁を渡る。「箱根八里は 馬でも越すが 越すに越せない 大井川」と唄われていたように、昔は水量豊富で暴れ川だったようだ。鉄道でならあっという間に通過できる。


 金谷駅到着する直前に右手に大井川鉄道の車両(近鉄電車)が見えてきた。  


 あっという間に金谷駅に到着した。


 金谷駅の駅舎である。大井川鉄道の駅舎とは別になっている。

島田0757-0801金谷 東海道本線 浜松行き
11牧之原公園:大井川鐵道オフミ


 金谷駅前からタクシーに乗り牧之原公園へ行く。決して贅沢をしているわけではない。歩いてもいいのだが、高低差がかなりあるので念のためのタクシー利用である。乗り鉄が本意なので、登りをタクシーで行き、帰りは下り坂を歩いてくる予定なのである。いや、きっとH氏は最年長の私の体力を考えてタクシープランにしてくれたのだろう。


 牧之原公園からの眺めは素晴らしい。タクシーを降りて振り返ると、かなりの高台であることがわかる。これはタクシー利用が正解だろう。大井川が眼下に見え、左から新東名高速道路、国道1号線、県道381号線の橋梁が見える。


 さらに右側には今まで乗ってきた東海道本線の鉄橋が見えている。大井川や金谷・島田の街並みはよく見えるが、霞のようなものがあるため、駿河湾や富士山は見えない。


 公園内にはお茶を広めた栄西禅師の立派な記念碑があった。


 公園の下にはカタクリ園があるので、寄ってみよう。
12カタクリ園:大井川鐵道オフミ


 カタクリ園は市天然記念物に指定されている。時間が早く園内には入れなかった。斜面全体にカタクリが咲き始めているのをフェンスの外から眺めることにする。




 カタクリは、紅紫色の可憐な花が下向きに咲くのが特徴だ。ここは自生するカタクリの南限らしい。


 さて活動を開始しよう。今いるのは右下のカタクリ園。矢印のように牧之原台地を歩き始めた。
13茶畑:大井川鐵道オフミ




 一面の茶畑の中を西へ向かう。“金谷お茶の香通り”という名前らしい。右も左も前も後ろも茶畑である。


 遠くの山肌には「茶」の文字が浮かび上がっている。


 そしてさらに歩く。まるで“茶畑を歩くおっちゃんたち”だ(笑)。


 20分くらい歩いただろうか、左手に芭蕉の句碑があった。「馬に寝て 残夢月遠し 茶の烟(けむり)」と書かれている。


 その横には明治天皇御駐輦祉(めいじてんのうごちゅうれんひ)があった。


 今の場所は地図の左下である。
14金谷坂の石畳:大井川鐵道オフミ


 これから金谷坂の石畳を地図の矢印のように下る。


 『島田市指定史跡 「東海道」 金谷坂の石畳
この石畳は、江戸時代幕府が近郷集落の助郷に命じ、東海道金谷宿と日坂宿との間にある金谷峠の坂道を旅人たちが歩き易いように山石を敷き並べたものであると言われています。近年、僅か30メートルを残す以外は全てコンクリートなどで舗装されていましたが、平成三年、町民約600名の参加を得て実施された「平成の道普請」で延長430メートルが復元されました。いま街道の石畳で往時を偲ぶことができるのはこの金谷坂のほか、箱根峠、中山道十曲峠の三箇所だけとなりました。   平成四年三月 島田市教育委員会』

 2005年(平成17年)に金谷町は島田市に合併されました。復元したときは“金谷町”だから町民だったわけですね。


 ここが石畳の入口である。


 こんな風に下り坂になっている。




 途中にすべらず地蔵尊があった。「安全に・滑らず・転ばず・着実に進めるように」と、商売繁盛、家内安全のほかに合格祈願などを願いお参りする方が多いようだ。平成5年に建立された。


 『鶏頭塚  鶏頭塚は旧東海道の石だたみの坂道の途中にある塚の名のいわれとなった「曙も 夕ぐれもなし 鶏頭華」の句と「六々庵巴静寛保甲子四年(1744)二月十九日没」と刻んだ自然石の碑である。巴静というのは蕉風をひろめた江戸時代の俳人でその教えを受けた金谷の門人たちは師の徳を慕って金谷坂の入口北側の辺にこの句碑を建てた。この碑石は道路工事等に伴いその都度移動したが風雅の心ある地元の人々の心配りによって保存が図られて現在に至っている。なお塚の裏に位置する庚申堂は昔から土地の人々に信仰され徳川時代の大盗日本左衛門がここを夜働きの着替え場所としていたことが口碑として残っている。 東海道 金谷宿』

 鶏頭塚の写真は撮ってなかった。

 石畳の坂を下り終えるとカフェがあったが営業時間には少し早いようだった。
15金谷駅界隈:大井川鐵道オフミ


 道路を渡り金谷駅を俯瞰する場所を通ってさらに下る。


 振り返ると昔のトンネルが残っていた。牧の原トンネル(全長1,056メートル)である。一番右に見えるのが現在は使われていないもので、1889年(明治22年)に殉職者を出す難工事の末に開通した初代の東海道本線の牧の原トンネルだ。当時はもっとも長いトンネルであった。真ん中が1903年(明治36年)に開通したトンネルでその時に複線化されている。一番左は1975年(昭和50年)に開通した新牧の原トンネルになる。
 金谷駅前のバス停のベンチに座って休憩する。この路線バスは土休日には運行してないので休憩しても迷惑にはならない。後ろには「茶娘踊り」と「大井川川越し太鼓」の壁画が描かれている。




『このレリーフは、金谷駅前広場の景観整備を目的に設置したものです。陶磁器のもつ不変性と重厚な輝きを利用した陶版彫刻により東洋一の牧之原大茶園、東に広がる大井川、さらに遠く望む富士山を背景に、金谷町の最大行事「茶まつり」のメーンである「茶娘踊り」、伝統ある「大井川川越し太鼓」など町の風物をモチーフに巨大が壁画によりイメージしました。壁画形状   高さ 2.5m・長さ 25.0m・厚さ 5〜8cm   平成3年3月 金谷町』

 また駅前ロータリーの向こう側には“大井タクシー本社営業所”があった。ここから「おーい!」と大きな声をだせば来てくれるのかもしれない(笑)。






 そろそろ大井川鉄道のきっぷを購入しよう。その前に駅前観光案内所によるとスタンプがあった。


 JR金谷駅の駅舎をバックにパチリと記念撮影。
16大井川鐵道金谷駅:大井川鐵道オフミ


 大井川鐵道金谷駅へ向かう。




 窓口で大井川周遊きっぷとSL急行券を購入する。SL急行券はもちろんH氏が事前予約していたものだ。感謝である。大井川周遊きっぷは2日間有効なので、昨日から大井川鐵道を乗り鉄しているB氏は昨日購入しており、とても有効な使い方である。

 窓口には臨時SL列車に乗ると思われるお客さんが列をなしている。




 金谷駅は1面1線の終着駅だ。観光案内の大きな看板が目をひく。一部は少し老朽化しているようだ。
17金谷〜新金谷:大井川鐵道オフミ


 しばらくすると近鉄車両が新金谷から金谷へやってきた。


 これが折り返しの新金谷行きの車両となる。


 右に東海道本線を見ながら電車は新金谷への向かう。


 新金谷で下車すると臨時SL列車「さくら13号」の蒸気機関車の周りには黒山の人だかり。


 写真も取りづらいので群衆を撮影した(笑)。


 そしてトーマスのパネルと記念撮影。孫に見せてみよう。

金谷1018-1021新金谷 大井川鐵道本線 新金谷行き
18臨時SLさくら:大井川鐵道オフミ


 そして場所を路地裏に移してさくら13号の出発を待った。この場所もH氏の案内である。近くの踏切が鳴ったので、SLが出発かと思ったら逆方向からの南海電車だった。


 しばらくしてから、臨時SLさくら13号が出発した。


180401臨時さくら13号出発


 満員の乗客を乗せた臨時SL列車が新金谷を後にした。
19新金谷駅・プラザロコ1:大井川鐵道オフミ


 新金谷駅の駅舎を撮影する。この駅舎は大正15年に建てられた木造2階建てで、1階は駅の改札口はカフェなどがあり、2階は大井川鐵道の本社事務所となっている。


 改札口の横にスタンプがあった。


 新金谷駅を出て左斜め前方にプラザロコがある。ここは元ヤオハンだった建物を改装して1997年(平成9年)4月にオープンした施設である。館内にはSL急行券の販売窓口やロコミュージアムなどがある。売店もありそこで昼食用の駅弁を購入する。いろいろな種類があったが日高つぶめし弁当を買った。




 プラザロコの一番奥には、子どもたちでも楽しめるように機関車トーマスの遊具がたくさんあった。




 また一畑軽便鉄道や住友セメント七尾工場で活躍したSLいずもが展示してあった。




 その隣には、井川線専用の貴賓車だったCスロフ1形が展示してあった。
20新金谷・プラザロコ2:大井川鐵道オフミ




 昭和30年代から40年代の駅舎を再現したノスタルジックなミュージアムは昔のポスターやレトロな電話ボックスなどが見られる。




 ジオラマも展示されていた。


 旧型客車で使われていたボックスシートが販売されていたのには驚いた。価格はなんと25万円! 買う人がいるのかな?

 プラザロコを出ると、ひっきりなしに大型観光バスが駅前駐車場に到着している。中国人の観光客も多い。おそらく同じSL急行に乗るのであろう。




 その後、転車台(ターンテーブル)などを見学して時間を待つ。過去に存在した転車台は1970年(昭和45年)に撤去されたため、SLの方向転換ができない状態となり、長い間上り千頭発金谷行き列車のSLが逆機となっていた。1970年代から21世紀初頭までの長い間、乗務員・利用客から不満の声があったが、転車台を再度設置することが決定され、2011年(平成23年)6月ごろより工事を開始、同年10月7日から使用を開始した。
【1 松田から御殿場線】  【2 大井川鐵道へ】  【3 SLとミステリートンネル】