かめかめ・かめラ
あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行
(愛知県〜三重県〜岐阜県)
(2018/7/14-16)

【3 樽見鉄道・地震断層観察館】
(2018/7/16)(記 2019/3/28)

39大垣駅:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 今日は2018年7月16日(月・祝)。樽見鉄道の旅を始める。JR大垣駅の一番奥に樽見鉄道のホームはある。昔は国鉄樽見線だった名残であろう。


 6番線(切り欠きホーム)手前にあるきっぷ売り場は8時にオープンするので、それ以前の列車は7番ホームから発車する。


 こちらが6番線方面。きっぷ売り場はまだ閉まっている。


 切り欠きの6番線である。




 こちらが車両。観光列車ねおがわのヘッドマークがある。

 出発する前に、日本語がたどたどしいアジア系外国人女性から「垂井駅」へ行きたいと尋ねられ、ここではなく隣のホームだと思うので確認してくれと答えた。その時は疑問に思わなかったが、きっと「垂井(たるい)」と「樽見(たるみ)」で迷っていたのだろうなぁ、と後で気が付いた。これも猛暑の影響か。ホームまで案内してあげればよかったと反省する。無事に垂井駅へ着けたであろうか?
40大垣〜東大垣:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 進行方向と逆方向を望む。


180716a樽見鉄道大垣駅出発


 徐々に大垣駅が遠くになっていく。


 しばらくJRと並走する。


 ふと気が付くとつり革があゆである。


 東海道線と別れを告げる。


 するとすぐに東大垣駅である。


 1日フリー乗車券を見せて途中下車する。


 こちらが東大垣駅舎である。自販機が車両と同じ塗装である。

大垣0711ー0718東大垣 樽見鉄道
41旧揖斐川橋梁1:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 東大垣駅から、樽見鉄道と東海道線の間の道を進む。左手には東大垣駅で列車交換している様子が見えている。


さらに進むと左側に村社八幡神社の鳥居があった。社はどこにあるのだろう。帰宅後に調べると樽見鉄道の向こう側に社があるようだ。


 少し行くと左側にまた村社があった。こちらは神名神社である。


 右側にはレンガでできた通路と水路がある。


 揖斐川の堤防に出た。


 これが旧揖斐川橋梁である。


 説明板があった。

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国指定重要文化財(建造物)
旧揖斐川橋梁

 旧揖斐川橋梁は橋長325.1m、ピン結合構造を持つ200フィートの錬鉄製五連ダブルワーレントラス橋梁です。
 東海道線の岐阜〜大垣間の建設に伴って揖斐川を渡河するために架設され、明治20年に供用開始されました。  
英国人鉄道技師ポーナルが設計し、英国のザ・パテント・シャフト・アンド・アクスルトゥリー社で製造されました。
 明治41年の複線化に伴い廃止された後に道路橋に転用され、昭和63年に大垣市へ移管されました。現在でもほぼ当時の原型を保っており、地元の生活道路として親しまれています。
 日本で最初に完成した幹線鉄道である東海道線において、最も高度な技術を駆使して建設された大規模トラス橋の一つで、かつ唯一原位置に現存する遺構として大変貴重なものです。
     大垣市教育委員会
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 昔からここにあったという素晴らしい橋梁である。


 右側には東海道線の新揖斐川橋梁が見える。
42旧揖斐川橋梁2:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 中ほどまで歩いてみる。橋脚の色が白っぽくなっていた。


 隣に東海道線の列車が走る。


 これは樽見鉄道の揖斐川橋梁である。


 よく見ると水鳥たちが遊んでいた。


 来た道を折り返して東大垣駅に戻ろう。東海道線の下側にこんな通路もあった。


 特急車両が通過していった。


 東大垣駅が見えてきた。


 このアンダーパスを抜けて右に曲がれば東大垣駅舎がある。
43東大垣〜美江寺:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 東大垣駅に戻ってきた。今日も朝から暑くて汗びっしょりである。


 大垣行きの列車が到着し対向列車の到着を待っている。


 向うから樽見行きの列車がやってきた。


 東大垣駅を発車するとしばらくして揖斐川橋梁を渡る。


180716b揖斐川橋梁


 揖斐川橋梁に別れを告げる。


 横屋、十九条を過ぎると次は美江寺駅である。


 付近の名所案内図があった。

東大垣0752ー0800美江寺 樽見鉄道
44美江寺宿:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 このあたりは旧中山道になる。「旧中山道」を「いちにちじゅうやまみち」と読んだ女子アナが昔いたっけ(笑)。


 瑞穂市指定史跡美江寺一里塚跡とある。ここは以前巣南町だったが、2003年(平成15年)に穂積町と合併して瑞穂市になった。




 ここが美江神社である。


 そして中山道の美江寺宿はこのあたりだったようだ。


 そしてこちらは美江神社内にある美江寺宿跡の石碑


 説明書きがあった。

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中山道美江寺宿跡

 美江寺は既に、天正17年(1589)豊臣秀吉の下知によって、問屋場が設けられ、往還の荷物中継ぎの業務に当たっていたが、江戸時代になって中山道が整備されるに及んで、近世宿場制による駅伝業務を担当する宿場となった。寛永14年(1637)4月伝馬役家と歩行役家各々25軒を定めて問屋の支配下に置き、交通業務に当たったのが、美江寺宿の公式開設である。
 宿場の機関の一つである本陣は、宿場開設より32年後の寛文9年(1669)春、時の領主加納藩の戸田丹波守光永によって建設され、問屋山本金兵衛が管理を兼ねた。以後、山本家が世襲して宿駅制廃止まで継承した。  
一般旅人のための旅籠は茶屋は年代により増減があったが、これは幕府改革の影響であろう。文久元年(1861)10月26日の和宮親子内親王江戸下向の途次、当宿御小憩と、慶応4年(1868)2月20・21両日、当宿を発信地とした、東征軍東山道鎮撫隊のことは、当宿交通史の特記事項である。
 明治3年(1870)閏10月、民部省布告による宿駅制廃止に伴い、宿場の歴史を閉じた。
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 美江神社内には高札場を復元したものもあった。


 美江神社の前を左折して宿場が延びているのがわかる。


 こちらは美江寺宿本陣跡。残念ながら本陣は残っていない。
45喫茶みき:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 朝から歩いたので喉が渇いた。小さなポットを持ち歩いているがその中の水もなくなった。朝の8時半頃ににぎやかな場所があった。


 「喫茶みき」。営業中だ! 早速店内へ。エアコンの効いた店内はとても涼しい。ソファとテーブルが広がったお店には10人ほどの老若男女、違った老人男女がたむろしていた。地元の人たちがサロンのように利用しているのだろう。楽しそうにおしゃべりしている。


 空いているソファに座ってオレンジジュース400を注文した。オレンジジュースだけ出てくると思ったが、ミニロールサンド、ゆで卵、ヨーグルトがセットになっていた。そうか、岐阜県のこのあたりは名古屋の喫茶店朝食の文化圏内だ。ちょっと感激する。
46美江寺〜本巣:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行

 十分涼んで体力を回復してから美江寺駅に戻り、旅を続ける。本巣行きの列車に乗る。次の北方真桑駅の手前に2005年に廃線となった名鉄揖斐線の築堤跡らしきものが見えた。ちなみに「まくわうり」というのはこの地域の特産物らしい。


 本巣駅が近付いてきた。樽見鉄道の本社もある。




 本巣駅に到着した。


 構内踏切を渡る。


 改札口は石製であり珍しい。


 駅舎全景。


 こちらの建物は車両基地だろう。

美江寺0858ー0914本巣 樽見鉄道
47本巣〜谷汲口:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行

 当初の予定では、谷汲口駅からコミュニティバスを利用して谷汲山華厳寺へ寄り、その後織部駅へ戻り「道の駅織部の里もとす」で昼食を食べようと思っていたが、暑さに負けて谷汲山華厳寺へ行くことをあきらめる。これも勇気ある撤退である。猛暑だけに、もうしょうがない!(何度目だ?(笑)) 「道の駅織部の里もとす」もあきらめる。一気に終点の樽見まで行く。


 樽見行きに乗る。車内はまぁまぁの混雑度。座れないことはないが、立って車窓を楽しむ。


 織部駅。このすぐ隣に道の駅がある。




 根尾川沿いを走り木知原へ。木知原は、こち「ぼ」らと読む。難読だぁ。


180716c樽見鉄道木知原〜谷汲口


 木知原〜谷汲口間に第一根尾川橋梁がある。


 谷汲口駅に着いた。多くの乗客が下車した。おそらく谷汲山華厳寺を目指すのであろう。

本巣0941ー1015樽見 樽見鉄道
48谷汲口〜鍋原:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


谷汲口と神海間に第二根尾川橋梁がある。


 神海駅に着いた。


 神海〜高科間に第三根尾川橋梁がある。


180716d樽見鉄道神海〜高科


 高科駅に到着した。


 高科駅を出るとしばらくは田園地帯の直線コースを走る。


 次の鍋原駅に着く手前に第四根尾川橋梁がある。


 鍋原駅に着いた。先ほどから難読駅名が多い。木知原(こちぼら)、谷汲口(たにぐみぐち)、神海(こうみ)、鍋原(なべら)などである。

本巣0941ー1015樽見 樽見鉄道
49鍋原〜樽見:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行




 鍋原から日当までには第五〜第八の四つの根尾川橋梁がある。


 日当駅に着いた。この駅も難読である。


 水鳥駅につく直前に三角の特徴的な屋根が見える。これが地震断層観察館で後ほど寄る予定だ。




 水鳥駅についた。ここも難読駅名だ。


 車内にはまだ多くのお客さんが乗っている。




 第十根尾川橋梁を渡り、トンネルをくぐると終点の樽見駅に着く。

本巣0941ー1015樽見 樽見鉄道
50樽見駅:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 樽見駅周辺の観光マップがあった。淡墨桜とうすずみ温泉があるせいか、飲食店もいくつかあるようだ。


 進行方向を見ると大きな山に遮られている。これ以上の延伸はないのだろう。


 駅前広場を散策しよう。駅舎として扇形の建物のうすずみふれあいプラザがあり、待合室にもなっている。


 樽見駅前からうすずみ温泉へのシャトルバスがある。意外と乗客は多い。こちらがお目当てのお客さんが多かったようだ。


 全線開通記念の石碑と大きな駅名標がある。




 旧根尾村の村制100周年記念の記念碑とモニュメントがあった。旧根尾村は本巣郡の4町村とともに2004年(平成16年)に本巣市になった。


 ホームに戻り、景色をパノラマで撮影してみた。


180716e樽見鉄道樽見駅




 さぁ、戻ろう。
51水鳥駅:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 戻ろうといっても一駅だけだ。次の水鳥で途中下車する。


 水鳥駅には開運駅という別称がある。


 乗ってきた列車が水鳥駅を出発した。


180716f樽見鉄道水鳥駅出発



樽見1031ー1035水鳥 樽見鉄道
52地震断層観察館:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 水鳥駅から左手に向かう。迷わないように大きな案内看板がある。


 現在地からの地図も書いてある。親切な看板だ。


 徒歩5分で地震断層観察館へ。ここには地震資料館、地震体験館、地下観察館がある。


 まずは地震資料館へ。地震のメカニズムや地球の中身の学習コーナーや過去の大きな地震の解説パネルなどがある。

 次に地震体験館。ここは1891年10月28日に東海地方を襲った濃尾地震(M8.0、最大震度7)を元にした、3Dシアターになっており、震度4〜5を実際に体験できるようになっている。大きな地震が起こっている昨今では、震度6〜7を体験できないのだろうか?(あくまで個人的な疑問です。阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、大阪地震、北海道胆振東部地震などで被災された方々には申し訳ありません。)


 そしてこちらが地下観察館。実際の根尾谷断層の場所に建てた建物であり、6mほどずれた断層を直接見ることができる。




 1891年の濃尾地震直後の根尾谷断層の様子。写真中央に断層のずれがくっきりと見えている。
53根尾谷断層:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 地震断層観察館を出て、直接根尾谷断層を見にいってみる。


 説明があった。

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国指定 特別天然記念物 「根尾谷断層」

 根尾谷断層は、明治24年(1891年)10月28日早朝、日本内陸部に起こった過去最大の濃尾地震によって生じた断層であり、その規模は福井県今立郡池田町野尻から可児市帷子地区まで、総延長80kmにも及ぶ世界でも最大級の地震断層です。
 特に、この断層の中心部にあたるこの地(根尾村水鳥)においては、上下最大6m、水平横ずれ3m、長さ1kmに及ぶ断層崖が出現しました。
 地震に伴って生じた断層として初めて確認されたこの水鳥断層は、その地震直後に撮影された写真が、内外の地震学の教科書などに引用されて世界的に有名となり、現在までに外国の研究者の来訪も多数にのぼっています。
 このような理由により、この断層は昭和2年「根尾谷断層」として国の天然記念物指定され、さらに昭和27年には特別天然記念物に指定され、今日に至ります。
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 一段盛り上がった場所が断層の場所である。100年以上前のものがそのまま残っていることがすごい。


 その横には「天然記念物 根尾谷断層」と書いた石碑があった。


 この道路の高低差がそのまま断層の縦のずれということになる。
54水鳥〜樽見〜大垣:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行




 水鳥駅に戻ってきた。駅前一等地に田んぼが広がる。


 そして一旦、終点の樽見駅に戻る。駅で列車を待つのも暑いので、涼をとるために少しでも列車に乗っていたいのである。


 再び同じ列車で今度は大垣方面へ出発する。第十根尾川橋梁から涼し気な根尾川が見えている。


 樽見駅から20分で神海駅に到着。大垣駅まであと50分ほどである。


 大垣駅に着くと、写真のような降車証明書が渡された。これでJR大垣駅の自動改札機が通れるようだ。


 大垣駅近くの商店街のアーケードからはミストが出ていた。真夏はいつも暑いのだろう。


 ニュースでは猛暑の話が多い。揖斐川では39℃を超えたらしい。

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猛暑続く・・・揖斐川でことし全国初の39℃超
 最高気温(午後2時半まで)  岐阜・揖斐川 39.3℃
 日本列島は連日、猛烈な暑さになっていて、「海の日」の16日は40℃に迫っている所もある。熱中症に厳重な警戒が必要。(日本テレビ系(NNN))
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水鳥1145ー1149樽見 樽見鉄道
樽見1157ー1305大垣 樽見鉄道
55タンタンメン@チャングイ:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 猛暑の中を大垣駅からチャングイまで歩く。わずか3-4分なのだが、汗が噴き出す。


 涼しい店内は天国のようだ。2016年度GAKIめし(大垣めし)グランプリのタンタンメンをいただくとしよう。暑さには熱さと辛さで対抗である。




 真っ赤なスープのタンタンメンは、覚悟していたからか、予想よりも辛くない。それでもメガネをはずしてフーフーしながら食べることになった。スープは残した。
56飛騨牛うどん@さらしな:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 さてまだ少し食べれるぞ。2日間で3回目のさらしなへ。よくお世話になったなぁ。居心地が抜群なのだ。






今度は飛騨牛 牛うどんだ。うどんは柔らかめでやや太め。スイスイと入っていく。大垣に来たらまた来てしまいそうだ。
57大垣〜名古屋:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行


 さて帰路につく。14時26分発の豊橋行き快速で名古屋を目指す。予定より4時間くらい早いが暑さに疲れた。


 大垣駅を出発してしばらくすると、樽見鉄道が左に分かれていく。


 遠くに樽見鉄道の揖斐川橋梁が見えている。


180716g新揖斐川橋梁


 旧揖斐川橋梁を左手に見ながら、新揖斐川橋梁を渡る。


 翌日の新聞でも猛暑の話題が満載だった。

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2018年7月17日付け読売新聞
猛暑列島
 今夏最高39.3度  岐阜・揖斐川

 3連休の最終日となる16日、日本列島は高気圧に覆われ、各地で猛烈な暑さとなった。気象庁によると、同日午後8時現在、西日本豪雨の被災地を含む全国186地点で最高気温が35度以上の猛暑日を記録した。熱中症(疑いを含む)も相次ぎ、読売新聞の集計では、全国で4人が死亡し、4人が意識不明の重体となっている。同庁によると、この暑さは今後1週間以上、続く見通しという。
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 「暑い、暑い」、「猛暑だ!」、「猛暑だけにもうしょうがない!」を連発してきたが本当に暑かった。熱中症にならなかったことに感謝したい。
2018年7月16日(月・祝)
大垣0711ー0718東大垣 樽見鉄道
東大垣0752ー0800美江寺 樽見鉄道
美江寺0858ー0914本巣 樽見鉄道
本巣0941ー1015樽見 樽見鉄道
樽見1031ー1035水鳥 樽見鉄道
水鳥1145ー1149樽見 樽見鉄道
樽見1157ー1305大垣 樽見鉄道
大垣1426ー1458名古屋 東海道本線
名古屋1526ー1635小田原 東海道新幹線 ひかり524
小田原1646ー1720伊勢原 小田急線 急行
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