かめかめ・かめラ
山陰・広島紀行
(島根県・山口県・広島県)
(2008/7/31-8/4)

【3 山陰本線で萩へ】

(2008/8/2)(記 2008/8/16)



旅程

 今日も天気がよくて朝から暑い。松江から山陰本線で東萩まで移動するのだが直通する列車はないので益田で乗換える。まずは特急スーパーまつかぜに乗る。特急と言ってもわずか2両編成で指定席と自由席が1両ずつである。座席はほぼ埋まっている。意外に需要が多いのだ。海側の指定席を依頼していたがなんと座席は山側であった。ちょっとムッとしたが、妻の「海側の座席に座る乗客越しに海を観るのもいいじゃない?」という優しい言葉に救われた。海側にはオバタリアンの団体客が居座り、うるさいくらいの大きな声でのおしゃべりに夢中で、車窓風景なんて見向きもしてない。きれいな日本海が車窓の、それも手の届くかと錯覚してしまうほどの近くに広がっているというのに。

 
列車表示 ◇ 特急スーパーまつかぜ@益田駅

 途中の大田市駅で大量に下車した。オバタリアンたちも一斉に下りる。世界遺産の石見銀山に行くのだろうか。車内がグッと空いたので、車掌さんの了解を取ってから最前列の海側の座席へ移動する。運転席のすぐ後ろにいると、運転手が大きな声と指さし確認とで安全対策をしているのがよくわかる。妻はというと運転信号の解読をして楽しんでいる。海岸線は複雑に入り組んでいるので、短いトンネルを過ぎると海が見え、そしてまた短いトンネルを出ると再び海が広がるといった感じである。透明度の高い日本海を満喫することができた。

 
車窓



 家の屋根に目を移すと瓦の色が黒主体から赤(えんじ)に変わってきている。石見特産の石州瓦であり、どことなくエーゲ海などの地中海の風景に似ている。特に白壁の建物に石州瓦の色はよく似合う。再び海に目をやると海の色が二つに分かれていることがわかる。手前がライトグリーンでその奥がライトブルーである。光の屈折率が海の深さにより異なるのだろう。

 
石州瓦

 益田で普通列車に乗り換える。1両編成トイレ付きの車両だが座席がロングシートなので車窓が見にくい。子供のように後ろ向きになりシートに膝立ちするわけにもいかない。身体と首を捻って眺めたが本当に美しい景色である。それもそのはずでこのあたりは北長門海岸国定公園に指定されている。高校生が大量乗車してきた奈古を過ぎ、線路が海から離れて左に大きくカーブをするともう少しで目的地の東萩駅である。




東萩駅

 エアコンが効いていた車内から一歩外へ出ると暑さがより応える。駅にある観光案内所で「萩市の観光地図をいただけますか?」と窓口の女性に問い掛けると、パンフレットが並んでいる棚を指さして「そこ」と言う。そばやのおばあちゃんといい、この女性といい、あまり愛想がよくないのはこちらの女性の特徴なのだろうか。昼食時だったので駅前の貸し自転車屋のおじさんから勧められた近くの食堂でうにめしを食べた。うにで和えたご飯に生ウニが乗った定食は、この店の看板料理だけあってなかなか美味だった。


うにめし

 さて萩観光である。荷物を預けてブラブラ歩けばよいし、または貸し自転車もあるのだが、暑さに負けてタクシーで移動することにした。観光案内所に戻り情報を仕入れ、やはり駅前にあるタクシー会社の営業所で配車をお願いする。ベテラン運転手の案内でまずは松陰神社と松下村塾と定番の観光スポットに始まり、山の中腹にあるために観光バスや貸し自転車ではほとんど行くことのできない吉田松陰の生家とお墓を巡った。生家からは萩市街地の向こう側に美しく輝いた日本海を望むことができ、これを見ながら異国への想いを募らせていたのだなぁと時空を超えて体験することができた。

 
松陰神社 ◇ 松下村塾

 
生家跡 ◇ 日本海の眺め

 運転手さんはとても話し好きで話し上手である。山口県は総理大臣を8人も輩出していることや、伊藤博文が養子に来た家が実は松下村塾から至近距離にあること、松下村塾と明倫館の対比などを自慢気に話す。吉田松陰のことは松陰先生と呼んでいる。その後、萩焼のお店に寄り、登り窯とガス窯との焼き物を手に取って比較し、城下の白壁の街並みを楽しんだ。萩では老舗の旅館に宿泊した。偶然にも萩夏まつりと重なり、夕食後には地元のまつりを楽しんだ。

 
街並み

 
壁のいろいろ

 
萩夏まつり
【1 サンライズ出雲】  【2 出雲大社〜松江】  【3 山陰本線で萩へ】  【4 津和野〜広島へ】