かめかめ・かめラ
伊勢原古地図めぐり(4)
(神奈川県伊勢原市〜厚木市)
(2015/7/12)
【2 岡田村】
(2015/7/12)(記 2015/12/9)
地図の(11)と(12)の間の南側(進行方向右側)には、各種食品メーカーの流通拠点のような建物がありトラックが何台も停まっていました。東名高速道路の厚木インターチェンジも近いので便利なのでしょう。
そして北側(進行方向左側)には写真のような倉庫がならんでいました。
ここが(12)の国道129号線との交差点です。
酒井前田交差点というようです。
地図の(12)から(13)へ向かいます。
(13)の交差点です。
(13)を過ぎて、(14)へ向かっています。
正面の突き当たりの三叉路が地図の(14)の場所です。旧地図でもはっきりわかる交差点になっています。何かあるでしょうか。
期待にたがわず、道祖神がありました。昔の旅人たちも道中の安全を祈願していたことでしょう。
(14)の三叉路に立って、三方を見通してみましょう。まずは南。平塚方面です。
こちらは西。今まで歩いてきた道です。
最後のこちらは北。これから歩いていく道です。
(14)から北へ向かってしばらくすると左側に大きくて目立つ松がありました。よく手入れがしてあります。
また北へ少し行くと、左側に「そば」の看板が見えてきました。
手打ちそばあり田です。もりそばをずずーと手繰りたかったのですが、まだまだ朝9時前でしたので、営業前でした。
さて、ここは地図の緑矢印の場所です。右斜め後方から道路が合流しています。旧道の合流方法に似ているので、旧道かと思いましたが、旧地図には手掛かりなく、比較的新しい道と思われます。
リバーサイド前バス停に着きました。徐々に気温があがり猛暑になってきました。
またまたしばらく北へ歩きます。左側に立派な生垣が見えてきました。よく手入れが行き届いています。
感心して眺めていると、「保存指定生垣「サンコジュ、チャ、マサキ、シラカシ」指定 昭和61年9月1日」という立て札がありました。道理で立派なわけです。
この御宅の庭をちょこっと失敬。写真を撮りました。昔から庭づくりが好きなのでしょうか、きれいなお庭でした。
緑矢印の場所まで来ました。西側から水路が流れています。
そして東側に流れていきます。
(15)は相川小学校です。
校庭はフェンスで囲まれています。その隙間から覗いてみました。
そして元の道に戻ろうとしたらこんな石像がありました。
近づくと「供養塔」と書いてあります。何の供養かはよくわかりませんでした。
さて、さらに北上します。下岡田バス停がありました。
バス停のそばに、こんなお洒落な建物がありました。立派な洋風なお屋敷です。
看板がありました。「SGL Product」とあり、その横には「PURE ORGANIC」と書いてあります。
そして「EXTRAORDINARY PET FOOD」「AUSTRALIAN CERTIFIED ORGANIC」などと書いてあります。ペットの有機食料ですね。それもオーストラリアのです。ペットも大事に扱われてます。
さらに北へ向かいます。右側に「和菓子舗 きらく 山口屋」という看板がありました。老舗の和菓子屋ですね。旧道沿いにある風景です。「WAGASHI BY YAMAGUCHIYA」と外国人にもわかるように表記してあります。
店舗を見るとまだ営業前でした。「水ようかん パイナップル大福」と書いてあります。イチゴ大福は食べたことがありますが、パイナップル大福はまだ食べたことがありません。一度食べてみたいですね。
全景はこんな感じです。
そうこうしているうちに、地図の(16)の寺まで来ました。古地図にも記載があります。「浄土真宗 本願寺派 法徳寺」です。ホームページによると開山500年の歴史があるようです。
中を覗くと、松の木がお出迎え。
これが本堂です。きれいなお寺です。
(16)の法徳寺の手前(南側)に、ちょっと気になる石碑を見つけました。
こちらには以下のように記されています。
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正六位 勲四等 功三級
海軍中佐横山忠重碑
大正十一年七月八日 横山直兄の二男として出生。昭和十七年十一月十四日海軍機関学校卒業。海軍少尉任官の後、累進して海軍大尉となり百里原航空隊教官勤務。昭和二十年四月六日特別攻撃隊第一正統隊長として百五十名を引率、敵艦船群に対し必死必中の体当たり攻撃を決行して散華す。仍て連合艦隊司令長官より感状を授与せらる。
昭和42年4月6日 従七位 横山直兄 設修
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特攻隊の正統隊長として散ったのですね。もう二度と戦争をしてはいけません。
百里原航空隊とは今の航空自衛隊百里基地のことで、2010年から茨城空港として開港し、官民共用空港となりました。
こちらは漢文にて、読みにくいのですが、
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二等軍曹横山君碑
陸軍歩兵二等軍曹横山君碑
(漢文)
明治三十年秋八月
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などと記されています。
さらにこちらには、
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叙従七位 高等官 横山直兄 昭和十九年十一月十五日
叙従七位 横山龜太郎 明治二十八年一月十日
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と書かれています。横山家は軍隊に行った人が多い家だったのですね。あるいは時代背景を考えると、青壮年男性はこのような運命の人が多かったのかもしれません。単なる古地図めぐりのはずでしたが、かなり考えさせられる場所に遭遇してしまいました。
こちらの社に眠っているのでしょうか。
駐車場の向こう側には、ハイツ横山A・Bがあります。この横山家のアパートなのかな。
今度は地図の(17)のお寺です。古地図には記載は見られないようですが、「壽永山 慈雲院 長徳寺」です。
山門はこんな感じ。
本堂はかなり大きいものでした。
長徳寺を出て、さらに北へ向かうと、東名高速道路が見えてきました。
【1 酒井村】
【2 岡田村】
【3 SONY村】
【4 厚木町】