かめかめ・かめラ
伊勢原古地図めぐり(4)
(神奈川県伊勢原市〜厚木市)
(2015/7/12)
【3 SONY村】
(2015/7/12)(記 2015/12/9)
東名高速道路をくぐると、すぐ右手の(18)の場所に三島神社があります。古地図にも載っています。三島神社は道路沿いにはなくて、カーブミラーのある路地を右折します。その 近くには、
「矢倉沢往還」と書かれた道標があります。これは比較的新しいもののようです。
その側面には、
=======================
矢倉沢往還
江戸時代に江戸より武蔵と相模を横断していた街道に関東支配の重要性から、江戸と西とを境とする足柄上郡矢倉沢峠に関所が設置され旅人・荷物等を検査した。この道を矢倉沢往還と呼称された。
=======================
と記されています。
路地を右折してすぐの左手に「村社 三嶋神社」があります。岡田村の村社だったようです。
鳥居をくぐって中に入りましょう。
神社の範囲を示す玉垣が建設されたのを記念した石碑でしょう。
おおきな銀杏の木がありました。
鐘撞堂もありました。
こちらが本殿です。
復興記念の石碑です。
「大正十二年九月一日午前・・・・・・・大地を震撼し」とありますので、関東大震災で壊された建物の復興を記念した石碑のようですね。
「未曾有の大地震」とあります。「みぞう」と読みますが、これを「みぞうゆう」と読んだ内閣総理大臣がいましたね(笑)
狛犬です。
皇紀二千六百年記念と書いてあります。ネットで調べると、1940年(昭和15年)が神武天皇が即位してから2600年で、11月10日に記念式典が行われました。
三嶋神社の奥の建物には、「三嶋神社社務所」とともに「岡田自治会館」の看板も掲示されていました。
この場所は新地図の「岡田四丁目」の「目」の字の近くからです。遠くに見える大きな建物はソニー厚木第2テクノロジーセンター(地図の緑矢印)です。
岡田バス停を通り過ぎます。
その先の右側に厚木市立岡田集会所があります。自治会館だけでなく集会所もあるとは恵まれた自治会です。
これが集会所です。後ろに見える建物はソニー厚木第2テクノロジーセンターです。このあたりからソニーの建物が多くなってきます。
岡田集会所の脇からソニー厚木第2テクノロジーセンター(地図の緑矢印)を望みます。
今日は厚木市議会議員選挙の投票日でした。
ソニー厚木第2テクノロジーセンターの正面入り口です。地図の(19)のあたりです。
「ソニー厚木第2テクノロジーセンター」バス停があり、「一般の方もご利用ください」と書いてあります。
ところが、バスは平日の夕方のみで、すべて急行のようですね。仕事帰りのみの利用のようですが、それにしてもたくさんのバスが出ています。
ソニー厚木第2テクノロジーセンターから道をはさんだ反対側には岡田一本杉バス停があります。周囲を見渡しましたが、一本杉らしきものは見当たりません。帰宅してからネットで調べると、昔は樹齢250年ほどの一本杉があり厚木町と岡田村の境の目安だったようですが、残念ながら関東大震災で根元がいたんでしまったようです。バス停の名前に名残を留めています。
そしてその隣には御嶽神社がありました。
かなり小さな社ですが、道路拡張で土地が削られてしまったのでしょうか。
再び北へ向けて歩き始めましょう。強い日差しに汗ダクダクです。
地図の(20)のあたりです。左側には野球場がありました。草野球をやっていましたが、熱中症にならないようにしましょう(笑)
そして右側にはソニー厚木テクノロジーセンターの南側の門が現れました。
その近くのバス停は富士見町です。昔は富士山がよく見えたのでしょうね。
近くの空き地では地元の自治会のイベントらしきものの準備が行われています。今日は市議会議員選挙なのですが、運悪くブッキングしてしまったのでしょう。
暑くて暑くて、ダラダラと歩くだけになってきました。
少しでも日影を求めて歩きます。
地図の(21)の場所です。左側から新道が合流しており変則的な交差点になっています。
北を見るとこんな感じです。
そして東(右側)には、ソニー厚木テクノロジーセンターの正門がどーんとお出迎えしてくれます。以前のような元気さはなくなってきたソニーですが、まだまだがんばってほしいものです。
この交差点の近くには、「土地改良事業 完成記念碑」がありました。ソニー工場誘致のための土地改良事業だと思いましたが、「足立原永助書」とありこの方は合併前の厚木町長だそうで、時代がちょっと違いました。
道の反対側に「きりんど橋」と書かれた石碑がありました。その右側には少し錆付いていますが、「渡辺華山 「厚木六勝」図「洞堤賞月」」と書かれたものがあります。
側面には次のように記されていました。
=======================
きりんど橋
170年程前、ここを訪れた六部(行脚僧ら)が浄財をもって 容★橋し、明治中期架け換えるに際して、きりんど橋と称した。古老の話によると、聖代の御代には神獣★★が出ると祈り★★んど橋と唱え、きりんど橋と呼ばれるようになった。(★は判読不明文字)
=======================
そしてその近くには、詩を刻んだ石碑が。
=======================
洞堤賞月 橿家甘人
桐を植へたる きりべの堤 四季を通じて 月が良い
=======================
この先、熊野神社を通るのですが、そこにはこんな案内がありました。
まだまだ先へ進みます。
【1 酒井村】
【2 岡田村】
【3 SONY村】
【4 厚木町】