かめかめ・かめラ
近江紀行
(滋賀県)
(2017/2/11-12)

【2 多賀大社・五箇荘】

(2017/2/11)(記 2017/6/11)

近江紀行17:多賀大社1


 多賀大社前駅です。駅舎が多賀大社前駅コミュニティハウスになっています。他の駅でも同じように駅舎がコミュニティハウスになっているところがありました。ここでは観光案内所も併設されており、そこで多賀大社への行き方を聞いて出発です。


 駅のすぐそばにご覧のような大きな鳥居があります。


 多賀大社へは、この絵馬通りを進めばいいのです。


 進行方向右手に「かめや」がありました。すぐ「かめ」に反応してしまいます(笑)

調べてみると、
「昔ながらの落ち着いた客室が10室ある料理旅館です。湖魚を使った懐石料理をはじめ、相談すれば予算に応じて用意してもらえます。創江戸時代の寛政8年(1796年)創業の料理旅館で、現在の本館は大正13年に築造されました。本館は、木造2階建ての瓦葺きで、正面に入母屋造の破風を見せ、その下に切妻造の玄関が設けられています。(登録番号第25-0191号 かめや旅館 広間一棟 木造平屋造、瓦葺 登録番号第25-0190号 かめや旅館 本館一棟)平成13年4月に登録文化財に指定され、向かいのかぎ楼とともに、多賀大社門前の景観に欠かすことのできない建造物でもあります。」
とあります。歴史がありますね。


 またもう少し先には「亀寿軒(きじゅけん)」がありました。こちらは喫茶店です。「かめ」が多くて縁起がいいですね(笑)
近江紀行18:多賀大社2


 駅から10分ほどで多賀大社に到着しました。古くから「お多賀さん」と親しみを込めて呼ばれているそうです。


 御祭神は、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)で、古事記にもその名がでてくるようです。多賀大社の分祀社は全国239社を数えるとか。


 拝殿も立派です。


 こちらは神馬舎です。


 お多賀杓子の形をした絵馬が奉納されていました。この「お多賀杓子」は「おたまじゃくし・御玉杓子」の語源となったそうです。意外ですね。


 地元の日本酒も奉納されています。


こちらは天満神社です。受験のシーズンですから神様も忙しいことでしょう。
近江紀行19:多賀や


 多賀大社の目の前にある多賀やへ寄り道です。


 店の奥には有名人の色紙がところ狭しを飾られています。そうなんです。ここの糸切餅が有名なんです。


 早速注文してみました。二つで120円でした。中にアンコが入っていて、餅の生地で包まれています。ふわっとした食感でした。どうもごちそうさまでした。
近江紀行20:多賀大社前駅へ


 帰路では道標を見つけました。向かって右側には「左 京道」、そして左側には「右 本社道」と書いてあるのでしょうか。


 向かって右側には「明治十九年」、そして左側下部には「有志中」と書いてあります。


 桜町延命地蔵尊もありました。


 そしてお地蔵さんたちです。


 足つぼを刺激するように、竹の上を歩くのですが、雪で竹が隠れてしまっています。
近江紀行21:多賀大社前駅


 多賀大社前駅に戻ってきました。高宮駅からここまでの多賀線は1914年(大正3年)3月8日開業ですから、今年で103年目になります。


 多賀町出身には東北楽天イーグルスの則本投手がいます。そういえば、多賀大社前の多賀やにもポスターがありました。東北楽天イーグルスの試合が関西地方であるときには応援バスツアーが出るようです。


 スタンプもありました。こちらは万葉あかね線・多賀線開業100周年記念スタンプラリーです。


 こちらは多賀駅のスタンプ。調べてみると、多賀駅として開業し、1998年に多賀大社前駅に改称していました。だいぶ以前のスタンプなのですね。「自然と歴史のハーモニー びわ湖・近江路」と書いてあります。


 高宮駅へ行く途中の車窓です。一面の銀世界です。

多賀大社前1325ー1330高宮 近江鉄道 高宮行
近江紀行22:高宮駅


 高宮駅に着きました。左が3番線、右が2番線です。


 こちらは左が3番線、右が2番線で、右奥に見えるのが1番線です。


 高宮駅舎もコミュニティセンターになっていました。


 1番線のホームです。古い土台の上にかさ上げされているのがわかります。
近江紀行23:高宮〜五箇荘

 
 高宮駅2番線から貴生川行き列車に乗り最後尾から愛知川(えちがわ)橋梁を撮影しました。1898年に建設され、2008年に国の登録有形文化財に指定されました。


 五箇荘駅に着きました。ここで途中下車します。金堂のまちなみを見に行く予定です。


 駅にレンタサイクルがあるという情報がありましたが、なんと月・水・金のみで、土・日・祝は休みです。


 五箇荘駅舎です。新しくて立派です。駅名は開業時の地名なのですが、現在の地名は「五個荘」と、「箇」が「個」に変わっています。東近江市シルバー人材センター五個荘事業所が併設されています。

 観光案内所か、五箇荘金堂地区の地図が置いてあるのかと思いましたが、全くありませんでした。スマホで場所を確認するしかありません。


 駅前に小幡商人発祥の地という石碑がありました。


 そして駅前旅館の看板が。営業しているのでしょうか。

高宮1345ー1402五箇荘 近江鉄道 貴生川行
近江紀行24:五箇荘金堂町1


 国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された五箇荘金堂町(ーこんどうちょう)の地図です。これから徒歩でこの地区に向かいます。五箇荘駅を出て、赤線に沿って進みます。


 途中(地図@)に道標がありました。「左 いせ ひの 八日市 みち」と読めます。


 横には「右 京みち」と書いてあるようです。


 降雪で寒い横風の中を30分ほど歩いて、金堂地区の入り口(地図A)に到着しました。なるほど、風情がある街並みです。


 左手にはうどん屋のいっぺきがあり、右手には掘割が続いています。


 「コバタ」って「小幡」のことかな? と思ってしまいましたが、「タバコ」のことでした。ここまで小技を使うとは。
近江紀行25:五箇荘金堂町2


地図再掲


 こんな看板が見えてきました。「金堂まちなみ保存交流館」に寄ってみましょう。


 この立派な門のなかに「金堂まちなみ保存交流館」があります。

「金堂まちなみ保存交流館

 この建物は、重要伝統的建造物保存地区五箇荘金堂の西に位置し、元は金堂地区を代表する近江商人外村与左衛門家から分家した外村宗兵衛の屋敷でした。宗兵衛は京都に仕入れ店を持ち、関東地方を商圏とする呉服商で、幕末・維新期には金堂でも屈指の大商人として活躍しました。
 その後、屋敷は中江富十郎の所有となりました。中江家は代々呉服・小間物商を営む商人で、富十郎は、勝治郎・久次郎・準五郎と共に兄弟で力を合わせ、明治三十八年(一九〇五)、朝鮮大邱で「三中井商店」を創業し、戦前の最盛期には、朝鮮・満州・中国で約二十店舗もの「三中井百貨店」を有する大資本家となりました。
 主屋の建築年代は不明ですが、明治六年(一八七三)に、当初六間取の平屋から二階建に改築されたことがわかっています。池泉回遊式の庭は、作庭家として活躍した勝元宗益(鈍穴)の作風を伝える、地元の庭師山村文七郎によって昭和初期に造られました。かつては、約四千平方メートルもの敷地があり、現存する主屋の西側には土蔵や離れ座敷、広大な庭が存在していました。
 長い間空き家となっていましたが、平成二十年(二〇〇八)十一月から「金堂まちなみ保存交流館」として開館しました。NPO法人金堂まちなみ保存会が中心となり、伝統的建造物群保存地区の紹介や地域住民の交流の場として活用し、魅力ある金堂の町並みを守り伝えています。」

 地元のボランティアのご年配の方々といろいろと話をすることができました。200円で温かいコーヒーとお茶菓子が出てきて、冷えた身体を暖めました。そして観光地図をいただきました。


 館内にはご覧のような「花のお雛様」が飾ってありました。


 そして2階にはこの地区のジオラマがありました。

「重要伝統的建造物群保存地区国選定15周年記念事業
五箇荘金堂町ジオラマ模型
平成七年当時の金堂町並み景観」
近江紀行26:五箇荘金堂町3


 元気が出てきたのでさらに街歩きを続けます。掘割が張り巡らされています。


 掘割には数多くの錦鯉が泳いでいました。


 しばらくすると晴れ間が覗きました。不安定な天気です。


 こんなレトロな郵便ポストもありました。実際に使っているのでしょうね。


 雪化粧した方がさらに風情が増すかもしれませんね。


 こちらでは「川戸」と呼ぶそうですが、掘割の水を家に引き込み生活に使っていました。
近江紀行27:五箇荘金堂町4


 そろそろ五箇荘駅に戻りましょう。


 途中(地図C)に大城神社という大きな神社がありました。


 積んである石の大きさに圧倒されます。


 こちらにさらに大きな鳥居がありました。先ほどの鳥居は正面入口ではなさそうです。


 こちらは五箇荘小学校の校門です。時代劇に出てくるような雰囲気ですね。
近江紀行28:八日市駅


 五箇荘駅に戻り、八日市駅まで向かいます。


 八日市駅に到着しました。ローマ字表示が、「YOUKAICHI」からUが抜けて「YOKAICHI」になったため、OとKの間にスペースができています。


 五箇荘駅から乗ってきた近江八幡行きが3番線に停まっています。


 3番線の反対側の2番線には米原行きが停まっています。


 1番線と2番線の間にある中線には赤電が停まっています。


 跨線橋からの眺め。左側が1番線の貴生川行き。右側が2番線の米原行き。その間の遠方に赤電が見えます。


 跨線橋から彦根・米原方面を望みます。


 額田王と中大兄皇子を描いたタイル壁画が駅舎正面にあります。


 こちらは近江鉄道ゆるキャラのがちゃこんです。


 近畿の駅百選に選ばれた、八日市駅の全景です。

五箇荘1602ー1608八日市 近江鉄道 近江八幡行
近江紀行29:八日市〜近江八幡


 この電車で近江八幡へ向かいます。


 次の駅は新八日市駅です。この駅は、1913年(大正2年)に湖南鉄道の終点の八日市口駅として開業し、1919年(大正8年)に新八日市駅に改称し、現在の駅舎は1922年(大正11年)に改築されました。それにしても「湖南鉄道」だなんて、今だったら名探偵コナンのファンが集まりそうですね(笑)

 古い駅舎を訪ねたかったのですが、時間の都合で諦めました。


 夕陽が電車にあたりシルエットが雪景色の中に伸びています。


 近江八幡駅に着きました。

八日市1640ー1659近江八幡 近江鉄道 近江八幡行
近江紀行30:近江八幡駅


 近江八幡駅南口に降り立ちました。大きな駅なんですね。

 
 すぐに駅舎に戻り、こちらが近江鉄道のりばです。

 
 折り返しの電車に乗ります。


 平田駅で列車交換しました。

近江八幡1714ー1732八日市 近江鉄道 八日市行
近江紀行31:ABC食堂

 
 八日市駅から徒歩約10分のABC食堂にやってきました。創業1925年の老舗の洋食店です。18時開店ですが、20分前に到着してしまいました。寒いけどしょうがない、開店時刻まで20分待とう! と思っていると、なんと10分前にドアが開きウエイトレスさんが、「お待たせしました。中へどうぞ」と入れてくれました。


 待っている間にお店の前から周囲を見渡すと、気になる高架がありました。上には何やら電線らしきものが張り巡らせてあります。ここが旧八日市線の廃線跡かぁと勝手に思ってしまいましたが帰宅後に調べると場所が明らかに違いました。なんだったのでしょうか?

 
 数あるメニューの中から、オムライスのハッシュドビーフがけを注文しました。店内に流れるジャズに耳を傾けていると、そこへオムライスが出てきました。

 
 美味しいなぁ、お店のインテリアもBGMもいいなぁ、こんなお店がもっと近くにあったらなぁ、などと思いながらあっという間に食べてしまいました。
近江紀行32:再び八日市駅


 食事を終えて八日市駅に戻ります。鉄道むすめの豊郷あかねのスタンプがありました。

 
 大凧まつり大賞を受賞した能登川地区体育協会の凧が飾ってありました。

 
 ダイドーコーヒーのラッピング電車が今日の最後の電車になりました。

八日市1840ー1915彦根 近江鉄道 米原行


 今日は彦根駅近くのビジネスホテルに投宿します。ホテルのフロントにはひこにゃんがいました。
2017/2/11
多賀大社前1325ー1330高宮 近江鉄道 高宮行
高宮1345ー1402五箇荘 近江鉄道 貴生川行
五箇荘1602ー1608八日市 近江鉄道 近江八幡行
八日市1640ー1659近江八幡 近江鉄道 近江八幡行
近江八幡1714ー1732八日市 近江鉄道 八日市行
八日市1840ー1915彦根 近江鉄道 米原行
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