かめかめ・かめラ
伊勢原古地図めぐり(1)
(神奈川県伊勢原市〜秦野市)
(2014/10/19)

【4 笠窪村】

(記 2015/2/10)


 
 さて(21)から(22)へ向かってみましょう。新地図ではわかりずらいのですが、国道246号線の脇道があり、その脇道が旧道だと思われます。


 写真のように左側の脇道はやや登り坂になっています。


 車両は一方通行になっています。


 そしてやや下り坂になっています。


 右側には写真のような鶴巻温泉の大きな案内看板があります。


 今、歩いてきた道を振り返ってみました。


 (22)の地点です。ここからは国道246号線に別れを告げ、県道612号線沿いに進みます。

 
 (22)は地図にありませんが、黒矢印の場所です。黒矢印から(23)へ向かいます。旧地図と新地図と比べると、ちょっと違うのですが、それらしき道がみつかりませんでしたので、県道612号線に沿って歩きます。


 その前に(22)の左側にはパル音楽産業があります。伊勢原市内にはボックススタジオいせはらもあります。Nさん、いつもありがとうございます。


 進行方向左側には藪そばが、右側にはローソンがあります。


 左側には笠寿しがあります。笠窪にあるから笠寿しでしょうか。


 さらに進むと登り坂になります。そして左側にはバス停の停車スペースがあります。


 笠窪バス停(鶴巻温泉駅方面)です。

 
 そして笠窪バス停至近の交差点は、笠窪公民館前交差点です。地図の(23)の場所です。写真にはありませんが、笠窪バス停の脇には笠窪公民館があり、やはり旧道に間違いないようです。

 
 さて、(23)から(24)へ向かいます。


 まだ登り坂です。


 登り切った場所に着きました。

 
 右側には史跡箕輪駅跡があります。伊勢原市の指定文化財になっています。

 以下ホームページからの抜粋です。

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   10世紀(平安時代)に完成・施行された「延喜式(えんぎしき)」という法典に、当時の東海道に置かれた「箕輪駅」というのが登場します。この箕輪駅の所在地として、伊勢原市笠窪字三ノ輪を比定して「箕輪駅跡」として史跡に指定されました。

 「駅」とは「駅家(うまや)」で、飛鳥時代から平安時代にかけて、東海道のような主要幹線路に置かれたものです。中央から地方へ、地方から中央へとスムースな情報伝達のため4〜5里(16〜20キロメートル)の間隔で駅家と呼ばれる施設が設置されました。駅には当時の最速の乗り物である馬を置きました。駅は公式な施設で食事や宿泊の場としても利用されました。駅路の沿線には、国府や郡家(ぐうけ)と呼ばれる地方支配のための役所が置かれました。

  箕輪駅の所在地には伊勢原説の他、秦野説、平塚説がありました。伊勢原説は字三ノ輪という地名だけでなく、当地点あるいは近くを古東海道が通過していたという考えによります。これは相模国府の所在地と関連するものです。かつて相模国府三遷説(海老名市→大住郡→大磯)が唱えられていました。大住国府の位置を三之宮比々多神社から遠くない伊勢原市内にあったであろうとの説です。
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  箕輪駅跡は(24)でしたが、そこから道を挟んだ向こう側に神社があります。場所は(25)で、新地図では神社記号の場所です。


 ここが神社の入口の階段です。登っていきましょう。


 階段を上りきると大鳥居がありました。


 こぢんまりした本殿です。


 神明神社というようです。三之宮比々多神社の所管の一つのようですね。神明神社とは、

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  神明神社(しんめいじんじゃ)は、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社である。神明社(しんめいしゃ)、皇大神社(こうたいじんじゃ)、天祖神社(てんそじんじゃ)などともいい、通称として「お伊勢さん」と呼ばれることが多い。
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 と書いてあり、全国の主な神明社・神明神社・大神宮の一つに、伊勢原大神宮がありました。白根の神明神社も三之宮比々多神社の所管の一つでしたし、すべて関係があるのですね。


 先ほどの階段を下りて(26)へ向かいます。すぐに秦野市へ入ります。

 
 (25)から(26)へ向かいます。


 神明神社からは道は下りになります。


 右側にはケアタウンあじさいの丘があります。高齢者複合施設です。


 さらに進むと、左側につる寿しが見えてきます。鶴巻にあるからつる寿しなのでしょうか。


 そして右側には西光寺の通用口がありました。


 信号のある交差点を右折します。


 右折してすぐ右側に西光寺の入口があります。地図の(26)の場所です。旧地図にも薄いですが西光寺と書いてあります。

 
 さて(26)から(27)へ進みましょう。


 旧道はこのような静かな佇まいです。


 時折、人の往来がありますが、車は少ない路地です。

 
 鶴巻温泉街の温泉旅館が多かった地域ですが、現在ではマンションが建ち並んでいます。


 この道を先に行くと弘法山分岐点が、そして引き返すと西光寺という標識がありました。


 さらに進んでみましょう。

 
地図の(27)の場所に来ました。

 
 右側には鶴巻温泉随一の元湯陣屋の案内看板があります。


 路地を進むと、ご覧のような自然豊かな元湯陣屋の入口があります。ゆっくりと寛げる場所で、時々利用しています。

 また、ここは将棋の陣屋事件でも有名です。


 この陣屋は、鎌倉幕府の時、源頼朝の側近で四天王の一人であった和田義盛公の陣地だったようです。
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