かめかめ・かめラ
南三陸紀行
(岩手県)
(2014/11/22-24)

【3 三陸鉄道南リアス線(綾里駅・陸前赤崎駅)】

(2014/11/23)(記 2015/5/2)

南三陸紀行17 三陸鉄道盛駅売店

 三陸鉄道盛駅には売店が併設されいろいろなグッズが売られています。復興支援の一環としていくつか買ってきました。



 三陸鉄道手ぬぐいです。今回の全線運転再開を記念しています。

 

 手作り車両マグネットです。



 赤字せんべいです。



 盛から恋し浜ゆきの乗車券です。



 恋し浜手ぬぐいです。
南三陸紀行18 三陸鉄道盛駅


三陸鉄道南リアス線(盛〜吉浜)



 三陸鉄道盛駅です。JRよりも駅舎は小さいのですが、活気はこちらの方がありました。



 階段を上らずにホームへ行くルートもあるのですが、あえて、跨線橋を渡って向こう側のホームへ行きました。

 

 通路にはなぜかカラフルな手袋がたくさん展示してあります。

 

 駅名標です。「椿の里 盛」となっています。大船渡市は椿の自生する北限で、市の花にもなっているようです。

 

 2両編成ですが2両目は団体専用の貸し切りとなっています。ワンマン、セミクロス、トイレ付きの列車です。1両目にも団体客が多く、相席で通路側にやっと座ることができました。今年の7月の三陸鉄道北リアス線と同様に、この南リアス線も乗客が多いのかも知れません。
南三陸紀行19 綾里駅

 釜石行きの列車が盛駅を出発しました。わずか12分で二つ目の綾里駅に到着しました。




綾里駅出発

盛1100ー1112綾里(りょうり) 三陸鉄道南リアス線(釜石行き)

 

 駅名標には「綾姫の里 綾里」とあります。綾姫が機織を伝えたという伝説があるそうです。



 跨線橋には子供たちの絵が飾ってあります。



 こちらは盛方面です。



 そしてこちらは釜石方面です。



 駅スタンプもありました。
南三陸紀行20 綾里物産観光センター

 



 綾里駅には物産観光センター銀河という売店があります。

 

 綾里駅舎です。駅舎の前には三鉄ファンクラブの会員名簿がありました。

 

 津波てんでんこ(「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」という教え)や、暴れ狂った海として「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉とともに過去の大津波の被害情報の書かれたボードも駅前にありました。このボードは東日本大震災の4年前の平成19年(2007年)6月の設置ですから、以前からこのような教えや注意が行き届いていた地域もあるのですね。
南三陸紀行21 綾里駅前

 

 さらに駅舎の横には綾里大権現保存庫がありました。中を覗きましたが、展示されていませんでした。大権現とは獅子舞のことで、東北では大権現と呼ぶことが多いそうです。YouTubeで巨大な綾里大権現の勇姿を見ることができます。

 

 駅前道路を少し下っていくと、「大船渡市指定史跡 宮野貝塚」がありました。縄文前期中頃から晩期末までの長期にわたって生活の場と利用されていたようです。三陸沿岸では貴重な史跡のようです。

 

 むき出しで保存されているようですが、ワイルドだなぁ。
南三陸紀行22 陸前赤崎駅


三陸鉄道南リアス線(盛〜三陸)

 さて、綾里駅からは陸前赤崎駅へ一つ戻ります。列車は単行、ワンマン、セミクロスでした。盛から綾里へ来たときと同じ顔ぶれが数多く見えました。どうしてだろうと思いましたが、時刻表を見て納得しました。おそらく彼らは団体で、

盛1100ー1119恋し浜1141ー1156盛

のコースで恋し浜駅に行ったに違いありません。これでも22分の時間があります。なにしろ恋し浜駅は大人気だそうですから。もちろん、私もこの後に行くことになっています。あっという間に陸前赤崎駅に到着しました。




陸前赤崎駅出発

綾里1145ー1151陸前赤崎 三陸鉄道南リアス線(盛行き)



 駅名標には「貝塚めぐり 陸前赤崎駅」と書いてあります。また貝塚ですね。周辺には縄文時代の貝塚の遺跡が多いそうです。



 陸前赤崎駅の近くには何もありません。入口も写真のように表示しないとわかりにくようです。
南三陸紀行23 陸前赤崎駅前



 海沿いなので被災したのか、駅も場所が少し東側に移り、築堤や駅舎ももちろん新しくできたようです。見渡す限り何もなく、事前にネットで調べた飲食店の姿さえ全く確認できません。

 

 駅舎のある高台から平地へ降りてきました。住居の基礎やコンクリートブロックは残っていますが、住居があったと思われる場所にはまだ雑草が生い茂っています。ところどころにプレハブの仮設住居が見られます。



 秋葉山、山神と書いてあります。秋葉山といって思い出すのは、静岡県浜松市の秋葉山ですが、何か関係があるのでしょうか? 新しく白いセメントで補強されているので、震災で倒れたのかも知れません。



 南海と船体に書いてある小型ボートです。いったい何のためにここにあるのでしょうか?  東日本大震災で漂着したものなのでしょうか。後ろにある白い築堤は南リアス線の線路です。真っ白いので、新しくしたものだということがわかるでしょう。
南三陸紀行24 太平洋セメント大船渡工場



 海沿いに出てみました。大船渡湾です。逆光に輝いています。


大船渡湾



 海沿いを右に行くと太平洋セメント大船渡工場があります。この近くにあったと思われる飲食店は何もありません。この工場も海沿いのためにかなり被災したと思われますが、現在では何の問題もなく稼働しているようです。



 さらに進んでいくと巨大な煙突が!  道路を挟んで双方に工場があるようです。



 工場が終わる頃に写真のよう線路が現れました。



 地図では、黒矢印で示している貨物駅の赤崎駅(岩手開発鉄道)です。

 

 写真のような状況です。駅舎が被災したようで、こちらの駅舎も新しくなっていました。
南三陸紀行25 盛川河口

 時刻は12時半を過ぎています。昼食はまだ食べてませんが、昼食を食べられそうな場所すら見当たりません。盛川河口(すでに大船渡湾か?)を渡ってみることにしました。



 この橋から北(盛駅方面)を見るとこんな感じです。

 

 橋の中央部ではこのような工事が行われていました。何の工事でしょうか? 新しい橋のための橋桁の工事でしょうか?



 もう少しで対岸という場所からみた景色です。時が止まったような感じです。



 対岸の巨大なコンクリートの塊には「津波はここまでやってきました」という青い表示がされていました。津波に負けない巨大な橋を作っているのでしょうね。対岸まで行くも食事ができるような場所は皆無であり、人の往来もなく、今来た道を引き返します。
南三陸紀行26 中赤崎商店街



 太平洋セメント大船渡工場に沿った道を戻ってきました。「大船渡の未来を考える会」の「復興が遅い! 流れを変えよう」という看板が目立ちます。確かに復興が遅いとは思います。たまたま今日は大船渡市長選挙の日でした。後日確認すると、自民、民主、公明推薦の現職が再選されていました。無所属新人(元大船渡市議会議員)との対決でしたが、12,062票対9,400票ってかなり接近してましたね。



 しかたなく、昼食抜きで列車に乗ろうとトボトボと陸前赤崎駅へ向かっていると中赤崎商店街という看板がありました。あれっ、商店街なんてあったかな? と思いながら矢印方向へ向かうと、プレハブの仮設住居と思っていた建物が目指す商店街であることがわかりました。

 

 二棟あり、一棟には美容院のみ、そしてもう一棟には三軒のお店がありました。



 飲食店はどうかというと、、、、、、、スイーツのお店がありました!
南三陸紀行27 oiseau sweets



 ここがoiseau(オアゾー) sweetsです。九死に一生を得て、わらをもつかみ、捨てる神あれば拾う神あり、掃き溜めに鶴(ちょっと違うか?)といった心境です。



 チーズケーキ(200円)、自家製プリン(280円)、アイスコーヒー(250円)をチョイスし、ちょっとしたイートインコーナーでの昼食となりました。空腹の私にとっては救いのスイートとなり助かりました。
南三陸紀行28 再び陸前赤崎駅



 改めて見上げてみると、駅舎はかなり高い場所にあります。



 てくてく登り駅舎内で列車を待ちます。



 駅舎内は写真のようにきれいな状態を保っています。



 ホームから山側を見ると、こちらは以前の建物が数多く残っているように感じました。




陸前赤崎駅到着

 盛から釜石行きの列車が到着しました。これに乗って甫嶺まで行きます。
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