かめかめ・かめラ
大山道 田村道
(神奈川県)
(2016/4/29、5/3、6/12)

【7 藤沢本町〜藤沢橋】

(2016/6/12)(記 2017/8/20)

田村道61:藤沢本町駅




 田村道第三弾は2016年6月12日です。伊勢原から小田急線で藤沢本町まで行き、ここからスタートです。


 地図の赤下線の伊勢山橋です。ここから東へ進みます。


 地図の赤矢印の白旗交差点です。ここを左折します。
田村道62:白旗神社1



 
 しばらく進むと正面に大きな鳥居が見えてきました。地図(10)の白旗神社です。


 白旗神社の説明です。

「御祭神  寒川比古命 源義経公

配神  天照皇大神・大国主命・大山祀命

由緒  古くは相模一の宮の寒川比古命の御分霊を祀って、寒川神社とよばれていた。しかし、創立年代はくわしくはわからない。鎌倉幕府によって記録された『吾妻鏡』によると、源義経は兄頼朝の勘気をうけ、文治五年(一一八九)閏四月三十日奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害された。その首は奥州より新田冠者高平を使いとして鎌倉に送られた。高平は、腰越の宿に着き、そこで和田義盛・梶原景時によって首実検が行われたという。伝承では、弁慶の首も同時におくられ、首実検がなされ、夜の間に二つの首は、此の神社に飛んできたという。このことを鎌倉(頼朝)に伝えると、白旗明神として此の神社に祀るようにとのことで、義経公を御祭神とし、のちに白旗神社とよばれるようになった。弁慶の首は八王子社として祀られた。」

 昔の昔は、寒川神社と呼ばれていたのですね。


 旧東海道の藤沢宿の地図がありました。


 東海道五十三次の藤沢宿の絵です。遊行寺橋の様子です。
田村道63:白旗神社2


 神社の裏に数多くの石造物がありました。


 寛文五年の庚申供養塔です。


 寛文五年庚申供養塔(有形民俗文化財)の説明です。

「庚申信仰は、十干・十二支の組合せによって、六十日に一度めぐる庚申の日に、徹夜で無病・息災・長寿を願う信仰である。「人の体内にいる三尸の虫が、庚申の夜、天に登ってその人の罪過を天帝に告げるため生命を縮められる」とする道教の教えに由来している。この供養塔の中央上の梵字は釈迦如来(主尊)、続く八字はナモアミダブソワーカーの一呪、下の梵字はここでは青面金剛を表している。猿像の脚ぼその彫刻は、江戸時代初期のものに見かけられるものである。
昭和五十二年四月十三日指定」


   これは江の島弁財天道標です。右側面には「一切衆生」と書いてあります。


 左側面には「ゑのしま、かまくら みち」と書いてあるように見えます。


 これは何でしょうか?


 こちらには享保二十年と読めます。
田村道64:源義経首洗井戸




 白旗交差点に戻り、東へ少し行ったところに、「伝 源義経首洗井戸」の案内表示がありました。行ってみましょう。


 ここがその場所です。地図の赤矢印のあたりです。


 説明がありました。

「伝 義経首洗井戸

 源義経(鎌倉幕府の将軍源頼朝の弟)は、頼朝に追われ奥州(東北地方)に逃げていましたが、一一八九年に衣川(岩手県奥州市)で自害しました。腰越(鎌倉市)で首実検の後に浜に捨てられた義経の首は、潮にのって川をさかのぼり、里人に拾われてこの井戸で清められたと伝えられています。この絵は歌川国芳が描いた源義経の浮世絵です。ここから二〇〇メートルほど北の白旗神社は祭神として義経を祀っており、境内には、藤沢の御首と宮城県栗駒市の判官森に葬られた御骸の霊を合わせ祀った源義経公鎮霊碑などがあります。また、常光寺南側の公園には、弁慶塚と記された石碑が祀られています。」

 ふ〜ん。


 こちらには源義経史蹟 藤沢市と書かれています。
田村道65:常光寺1


 次は地図(12)の常光寺です。


 このあたりの歩道上のトランスボックスには藤沢宿の絵が描かれています。


 ここが常光寺です。

 
 かながわの名木100選に常光寺のカヤが選ばれています。


 亀とかたつむりの石造物がありました(笑)
田村道66:常光寺2


 庚申供養塔がありました。


 説明文がありました。

「市指定有形民俗文化財 昭和五十二年(一九七七)四月十三日指定

万治二年・寛文九年 庚申供養塔
 向かって右が万治二年(一六五九)、左が寛文九年(一六六九)に造立された庚申供養塔です。ともに塔身に笠石を乗せています。
 万治二年塔は、塔身正面に「萬治二年」「己亥正月吉日」の造立年記があり、下部に十三名の造立者名が陰刻されています。(中略)
 寛文九年塔は、塔身両側面に「寛文九己酉年」「五月廿八日」の造立年記が陰刻されています。(中略)
 下方には正面と両側面に「見ザル・聞かザル・言わザル」が一体ずつ配されています。庚申塔に三猿像が彫られているのは、三尸に告げられないように、あるいは庚申の申が猿に通じるからなどの説があります。」


 こちらが万治二年塔です。


 こちらは寛文九年塔です。


 六地蔵もありました。
田村道67:問屋場跡

 


 常光寺を出てすぐ右側に、問屋場跡がありました。問屋場は宿場のさまざまな事務作業を行う場所で、具体的には人馬の継立(つぎたて)、助郷(すけごう)賦課などがありました。


 今は消防署になっています。地図では赤矢印の場所です。
田村道68:藤沢宿街並み


 地図(13)あたりが東海道藤沢宿の賑わった界隈です。


 地図で赤四角で囲んだ蒔田本陣跡です。


 内田商店本店が本陣跡なのでしょうか?


 ここにも風格のある建物がありました。


 こちらも老舗風の建物です。


 歩道のトランスボックスには、昔のおそらくこの辺りの写真がありました。


 江戸時代の旅籠の様子も描かれています。
田村道69:遊行寺前


 地図(14)の遊行寺橋の辺りです。


 遊行寺前バス停です。


 遊行寺で行く道の分岐点です。


 近くに遊行寺橋と高札場跡の説明がありました。


 「東海道藤澤宿 昔話のある町 旅籠町/中久保町」

「昔話のある町」というネーミングがいいですね。


 東海道藤沢宿の成り立ち・しくみがわかりやすく解説してありました。
田村道70:遊行寺橋・遊行寺



 
 ここが遊行寺橋です。


 トランスボックスには昭和5年の遊行寺橋(当時は大鋸橋)の写真がありました。


 遊行寺橋を渡り、遊行寺へ向かいます。途中の右側に「ふじさわ宿交流館」がありました。


 時宗総本山遊行寺です。


 遊行寺の近くの藤沢市消防団第八分団のシャッターにも藤沢宿の様子が描かれています。
田村道71:藤沢橋


 遊行寺からの帰りは地図の赤線のように進みました。この辺りにあるはずの藤沢宿の江戸見附跡を探したのですが、見付けられませんでした(笑)


 藤沢橋から遊行寺橋をみたところです。


 ここが藤沢橋です。


 藤沢橋近くの境川に流れ込む小川です。段差が気になるのは、ブラタモリの見過ぎでしょうか(笑)


 藤沢橋交差点です。


 道案内です。旧東海道ってのがお洒落です。


 近くのトランスボックスにはこのような浮世絵がありました。

 この藤沢橋からは旧東海道と離れ、通称江の島道と呼ばれます。
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