かめかめ・かめラ
大山街道(赤坂御門ー伊勢原)
(東京都ー神奈川県)
(2019/1/14)

【4 桜新町ー二子(行善寺線)】
(2019/2/3)(記 2020/3/29)

34桜新町


 大山街道歩きの2回目は2019年2月3日の午後。午前中の横浜での仕事を終えてから、桜新町に移動する。
 今日は桜新町からどこまで歩けるだろうか。


 (17)桜新町駅南側のサザエさん通り
 このあたりは割と単調な道が続く。


 明治地図では桜新町駅の場所がわかりにくい。


 桜新町駅南口近くの麺やさとうで昼食を食べようと向かうが店外に行列がありあきらめる。


 こちらにもサザエさん像があった。


 道路をわたり向う側へ。


 昼食はカレーハウスCoCo壱番屋でポークカレー484。レジを担当していたのは外国人だった。日本人スタッフも店内にはいたが、よほど信頼されている外国人スタッフなのだろう。

伊勢原0801→0811海老名 小田急小田原線 快速急行新宿行き
海老名0813→0846横浜 相模鉄道本線 急行横浜行き
横浜0856→0903伊勢佐木長者町 横浜市営地下鉄ブルーライン 普通湘南台行き
伊勢佐木長者町1149→1225あざみ野 横浜市営地下鉄ブルーライン 普通あざみ野行き
あざみ野1229→1253桜新町 東急田園都市線 各停渋谷行き
35用賀追分


 (18)から★1を通り(19)へ向かう。


 ★1を通り(19)へ向かう。


 単調な道を進む。平成地図の(18)より手前あたりだろう。


 ここが★1の場所。右側のやや細い道を進む。


 ゆっくりと右にカーブしながら少し下っていく。


 (19)の場所についた。


 大山道追分と書いた石碑があった。ここが用賀追分だ。
36用賀駅


(19)用賀追分
(20)交差点
(21)真福寺
(18)田中橋
(23)延命地蔵
 なお(18)だけ白地に黒文字になっているのは、新町・行善寺線ではなく上町・慈眼寺線用の表示だから。両者は三軒茶屋から二子玉川まで分かれるが、用賀追分から延命地蔵までは共通である。


(19)用賀追分
(21)真福寺
(18)田中橋
(23)延命地蔵
明治地図にも真福寺としっかりと書かれている。


 用賀追分からゆるやかな旧道カーブを進む。


 交差点を過ぎて用賀駅方面へ向かう。


 右側には真福寺の参道がある。


 ここが山門であり、今回は時間がないのでここまでで先を急ぐ。


 用賀駅前についた。


右側には交番がある。交番の横の階段を下ると用賀駅。


 道路を渡ったところにあるのが東口。


 しばらく進むと左側にセントラルフィットネスクラブがあった。地元のセントラルに通っているだけに目についてしまう。ここは24時間営業している。
37田中橋と延命地蔵


(18)田中橋
(23)延命地蔵


(18)田中橋
(23)延命地蔵


 地図(18)の田中橋交差点に来た。高架部分は首都高速3号線だが、地上にも交差点がある。


 現在でも川が流れている。


 さらに先に進む。


 地図(23)の延命地蔵があった。


 しっかりと延命地蔵と書かれている。


「奉修地蔵大菩薩法交通安全祈●」と書かれた立派な石碑もあった。
38瀬田交差点


 今回歩いている新町・行善寺線は延命地蔵のある道を直進する。斜め右に行くと上町・慈眼寺線(白地に黒文字番号)になる。
 ★5から(24)の瀬田交差点に進み、★6の道を進む。


 明治地図でも(24)の瀬田交差点は判別できる。赤の点線は上町・慈眼寺線のコースである。


 手ぬぐいにも瀬田が描かれている。


 ここが瀬田交差点である。左側の歩道を渡り歩道橋に登る。


 正面が★1の国道246号線の厚木方面。


 振り返ると★2の国道246号線の渋谷・赤坂方面。


 こちらは★3の環状八号線の玉川IC・第三京浜方面。


 そしてこちらは★4の環状八号線の東名高速東京IC・高井戸方面。


 今歩いてきた道は★5でこんな位置関係になる。


 これから大山街道は★6の方に進む。
39旧道


 ★6へ向かう。


(24)から南へ向かう。




 この交番の左側の道が★6の道になる。


 歩道も広く緑も多く歩きやすい道である。


 ★7の分岐点にやってきた。左側の細い道を進む。


 しばらく進むと右側に路地があった。


 「瀬田夕日坂」と命名されていた。明治時代の地図をみるとこのあたりの大山街道は北から南へ向かっており、進行方向右手は西になる。おそらく昔は夕日がきれいに見えた場所だったのだろう。


 大山街道をさらに南下すると右側にお寺が見えてきた。
40行善寺


 (25)行善寺


 (25)行善寺という文字が見える。


 ここが行善寺の入口。


 浄土宗のお寺だ。



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獅子山西光院 行善寺(浄土宗)
 本寺の開基は長崎伊予守重光(法名・行善)、開山は法蓮社印誉上人伝光和尚であり、永禄年間(1558 ー 1569)に建立された。
 本尊は阿弥陀如来で、寺宝には玉川出現楠薬師があった。この地は展望にめぐまれ、江戸時代から玉川八景として有名であり、将軍も遊覧の折、しばしば立ち寄った。

   二子渡舟   太田子徳
玉くしけ 二子のわたり 明ぬやと
   見しや鵜舟の 篝也けり

昭和50年2月   世田谷区教育委員会

せたがや百景(81)瀬田の行善寺と行善寺坂
     昭和59年10月選定   世田谷区
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 瀬田の行善寺と行善寺坂が「せたがや百景」に選定されている。


 本堂はこちら。


 行善寺八景の石碑もある。景色のよかった場所だったのだろう。


 行善寺は多摩川の河岸段丘上にあるため、西側は急な崖になっている。本堂の奥から見下ろすと、こんな風に見える。ビルなどがなかった時代は大山・丹沢の雄姿だけでなく、富士山・奥多摩・秩父連山などが眺望できたようだ。
41法徳寺と調布橋


 (26)法徳寺
 (28)調布橋


 (26)法徳寺
 (28)調布橋


 行善寺から★2の場所に向かっては下り坂となる。


 徐々に急な下り坂になってきた。ここが行善寺坂である。


 ★2の場所には行火坂(あんかさか)の石碑がある。これは行善寺坂から左へ曲がる登り坂のことである。


 行火坂を登っていくと法徳寺があった。



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福来山 法徳寺
本尊、阿弥陀如来
 浄土宗に属し、永禄元年(1558)法阿因公和尚によって開山した。開基は、瀬田の旧家の祖先である白井法徳(重安)、父は、基経といった、基経は足利義明の家来であったが、父子で瀬田の地に農民となり、子重安が開いたものである。
 境内にある筆塚の碑は明治初期、寺子屋の師、大塚貞三郎のために近在の瀬田、用賀、岡本などの門弟一同がたてた記念碑である。
昭和53年3月   世田谷区教育委員会
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 行火坂を今度は下り、行善寺坂へ戻って、後ろを振返るとこんな感じでかなりの高低差がある。おそらくここも多摩川の河岸段丘なのだろう。


 この橋は(28)の調布橋。


 調布橋の下には丸子川が流れる。
42南大山道道標


 (28)から★3へ向かう。




 丸子川沿いを南東へ進む。


 ここが地図の★3の場所だ。


 南大山道道標と書いてある。北側を通る上町・慈眼寺線に対して、新町・行善寺線は南側を通るので南大山道となっているのだろう。


 道標には何か文字が彫ってあるが、、、、読めない。


 南大山道道標から進路を南西に変える。


 東急の二子玉川駅が目の前だ。


 右をみると東急大井町線の線路が高架になっている。


 現在地から地図の上方向に進み、二子の渡し場跡を目指す。


 前の地図の赤い点線が大山道(慈眼寺ルート)である。
43切り通し


 (29)切り通し


 この地図の(29)が切り通しの場所である。赤い点線を通る。  


 右手には二子玉川駅がある。


 こちらが駅まで続くショッピング街が見える。


 赤い壁の部分が切り通しである。


 ここが切り通し。おそらく多摩川の自然堤防を切り開いたものなのだろう。


 角度を変えるとこんな風に見える。


 自然堤防だったと思われる場所はこんな感じだ。


 切り通しを反対側から見る。
44二子の渡し碑


 (30)二子の渡し碑


 手ぬぐいにも「大山街道 二子の渡し」と書いてある。


 切り通しからさらに多摩川に向かって歩く。


 現在の堤防には階段があった。二子の渡しの碑がどこにあるかわからないので探してみる。


 階段を登って河原にでてみよう。


 右手をみると東急田園都市線の列車が多摩川を渡っている。


 二子玉川駅のホームはかなり多摩川の上に出っ張っているのがわかる。


 反対側をみると、二子玉川駅周辺のタワーマンションと、遠くの方には武蔵小杉のタワーマンション群が見える。


 周辺をうろちょろしていると、それらしきものが目に入った。


 ここは世田谷区玉川福祉作業所である。


 その入口の横にひっそりと二子の渡し跡の碑があった。なかなかわかりにくい場所だった。
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