かめかめ・かめラ
大山街道(赤坂御門ー伊勢原)
(東京都ー神奈川県)
(2019/1/14)

【7 松陰神社ー二子(慈眼寺線)】
(2019/3/21)(記 2020/3/29)

67大吉寺&圓光院


 ★1 松陰神社入口交差点
 (6)大吉寺
 (7)圓光院
 (11)世田谷駅前交差点


 ★1 松陰神社入口交差点
 (6)大吉寺
 (11)世田谷駅前交差点


 ★1の松陰神社入口交差点を右折し大山街道に戻る。世田谷区役所入口交差点を直進する。


 地図の(6)の大吉寺。明治地図にも寺の記号が記されている。


 本堂はこんな感じ。


 ここは(11)の世田谷駅前交差点。


 大吉寺の横には(7)の圓光院がある。明治地図には記号はない。あるいは大吉寺と思った(6)が圓光院なのかも知れない。圓光院の前にあるのは櫻小學校發祥之寺と書いた碑。寺子屋のような塾があって小学校の元になったのかな?


 (7)の圓光院の入口。左に弘法大師、右には真言宗大悲山円光院と書いてある。


 中では彼岸会大法要の準備がされていた。


 入ってすぐ左に庚申塔があり、その右には弘法大師降誕1200年記念の碑があった。
68代官屋敷&天祖神社


 (11)世田谷駅前交差点
 ★2 世田谷中央病院交差点
 (12)代官屋敷
 (13)天祖神社


 (11)世田谷駅前交差点
 ★2 世田谷中央病院交差点
 (12)代官屋敷
 (13)天祖神社


 (11)から★2へ向かって進む。


 ★2の世田谷中央病院交差点の角にはもちろん世田谷中央病院がある。


 世田谷中央病院交差点を右折してまっすぐ進む。


 この通りはボロ市通りで、毎年1月15,16日、12月15,16日の4日間開催され多くの人で混雑しているそうだ。


 しばらく歩いた左側には(12)の代官屋敷がある。しかし、、、

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保存修理工事のお知らせ
 大場代官屋敷は保存修理工事のため11月30日頃まで見学できません。来場の皆様には、ご迷惑をお掛けいたしますが、ご理解くださいますようお願い申し上げます。 なお、郷土資料館は通常通り開館しております。
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 ということで見学できない。郷土資料館は開館しているがパスする。


 中を覗くとかなり大掛かりな保存修理工事が行われている。


 代官屋敷の反対側には天祖神社がある。


 神社の庭では近所の子供達が元気良く遊んでいる。
69桜小前交差点


 ★3 大山街道と世田谷通りの交差点
 ★2 世田谷通り裏の交差点
 (14)桜小前交差点
 (15)石碑


 ★3 大山街道と世田谷通りの交差点
 ★2 世田谷通り裏の交差点
 (14)桜小前交差点
 (15)石碑
 (16)大山街道旅人の像


 ★3の場所にある桜門。


 まず大山街道の歩道を向こう側に渡る。


 そして世田谷通りを渡り、★2の交差点を左折する。


 X字状になっている(14)の桜小前交差点を斜め向こう側に直進する。


 細い道を進むと(15)の場所に石碑があった。  


 石碑には「ここにあった道標は区立郷土資料館前庭に移築した。 財団法人 大場代官屋敷保存会」と書いてあった。また戻るのも大変なのでここはパスしよう。


 ★4の交差点を斜めに横切るように直進する。
70大山街道旅人の像


 ★3 大山街道と世田谷通りの交差点
 ★2 世田谷通り裏の交差点
 ★4 交差点
 (14)桜小前交差点
 (15)石碑
 (16)大山街道旅人の像


 ★2 世田谷通り裏の交差点
 (14)桜小前交差点
 (15)石碑
 (16)大山街道旅人の像


 さらにまっすぐ進む。前方には上り坂が見えている。


 (16)の公園には大山街道旅人の像がある。


 のんびり一服している旅人である。


 説明書きがあった。

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大山詣(おおやまもうで)
 江戸時代中期、関東一円の農村には雨乞いのために、雨降り山と呼ばれる丹沢の大山に参詣する習慣がありました。これを大山詣といいます。赤坂見附から青山、世田谷、二子、溝ノ口、長津田、伊勢原を経て大山に至るこの道は、俗に大山道とよばれていました。世田谷区内の大山道は、三軒茶屋、世田谷通り、ボロ市通り、そして弦巻を通って、用賀、二子玉川に行っていました。
 しかし、大山詣は次第に、信仰は口実となり、帰り道東海道に出て、江ノ島や鎌倉で遊ぶ物見遊山の旅に変わってきました。この像は、そんな大山詣をする商家の主人をモデルに、たぶん一服しただろうと思われるこの場所に設置したものです。
 昭和60年3月 世田谷区
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 大山詣が信仰から物見遊山になったことが記されている。


 公園の注意事項を書いた看板にも大山街道のステッカーが貼ってあった。


 蛇崩川の洗い場跡の石碑があった。蛇崩川とは何度か遭遇している。
71弦巻四丁目ー用賀追分


 (17)弦巻四丁目交差点
 ★1 陸上自衛隊交差点


 (17)弦巻四丁目交差点(世田谷村道と書いてある)
★1 陸上自衛隊交差点
 (19)用賀追分


 ここが(17)の弦巻四丁目交差点。


 そしてファミリーマートの一角には道標があり、馬頭観音と書かれている。


 このあたりは小綺麗なマンションが多く閑静な住宅街である。


 ここが★1の陸上自衛隊交差点である。


 ★1 陸上自衛隊交差点
 (19)用賀追分


 狭い道路が続いている。


 上用賀一丁目交差点を過ぎるとさらに道路が狭くなる。


 この先もまだ直進する。


 しばらくすると下り坂になってきた。


 (19)の用賀追分である。大山道追分と記されている。
72環状八号線


 (23)延命地蔵(黒地に白文字)
 (19)大空閣寺
 (20)瀬田教会
 (21)慈眼寺
 (22)瀬田玉川神社
 (23)次大夫堀(白地に黒文字)


 (23)延命地蔵
 (21)慈眼寺
 (23)次大夫堀


 真福寺や田中橋は前回も通っているので報告はパス。(23)の延命地蔵の場所を右手に入る。


 こちらの道を進む。


 のどかな雰囲気である。


 やがて環状八号線にぶつかる。このまま真っすぐには渡れない。


 右折して横断歩道を探す。


 瀬田郵便局前交差点に信号と横断歩道があるので渡る。


 さらに先を進む。
73大空閣寺&瀬田教会


 (19)大空閣寺
 (20)瀬田教会


 明治地図には大空閣寺と瀬田教会は記載なし。


 そして(19)の大空閣寺である。


 こちらが正面で、右から順に大空閣寺、虚空藏菩薩、地蔵菩薩と書かれている。


 さらに進む。


 ここが(20)のカトリックの瀬田教会である。
74慈眼寺


 (21)慈眼寺


 (21)慈眼寺


 瀬田教会を右折すると、下り坂の正面に見えるのが(21)の慈眼寺である。


 参道の手前には笠付庚申塔があった。


 坂を少し登ると慈眼寺となる。


 正式には真言宗智山派喜楽山教令院慈眼寺という。


 ここが本殿である。
75瀬田玉川神社


 (22)瀬田玉川神社


 明治地図には瀬田玉川神社は書かれていない。

【追記】(21)「慈眼寺」の左下に神社のマークがありました。


 慈眼寺を出ると、急な下り坂となる。


 そして右側には瀬田玉川神社がある。かなり急な階段を登らなければならない。


 階段の上から下をみるとこんな感じである。


 さらに階段がある。


 狛犬の間を通って進む。




 鳥居の向こうに拝殿がある。


 昔の鳥居が保存されていた。村社玉川神社鎮座と書いてある。
76治大夫橋&次大夫堀


 (23)次大夫堀(白地に黒文字)


 (23)次大夫堀


 瀬田玉川神社を後にして、さらに坂を下る。


 右には身延山関東別院玉川寺があった。


 そしてNTT瀬田前交差点にやってきた。




 交差点の橋が治大夫橋である。


 下を流れているのが丸子川で、こちらが上流。


 こちらが下流である。


 この丸子川のことを昔は次大夫堀と呼んだそうだ。


 案内図と説明があった。

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治大夫橋・・次大夫堀の上を渡る大山道

大山道(おおやまみち)
 大山道とは、大山詣りの道のことで、大山は神奈川県伊勢原市にあります。世田谷を通る大山道は、江戸赤坂御門を起点とし、二子玉川で多摩川を経て、伊勢原から大山まで続いています。二子玉川には、ここ治大夫橋を渡る大山道と、行善寺の東側を通る大山道があります。

次大夫堀(じだゆうぼり)
 慶長年間、徳川家康が主として下流の六郷地方の米の増収をはかるため、代官小泉次大夫吉次に命じて切り開いた灌漑用水で、世田谷地方の人々は「次大夫堀」(同・六郷用水、現・丸子川)と呼んでいました。
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同じように「じ」と読むのに、どうして「治」大夫橋と「次」大夫堀とで字が違うのだろう? 謎だ!


 地図にも赤い破線で大山道が描かれている。
77二子玉川商店街


 ★1 二子玉川小学校入口交差点
 (24)大山道の碑


 ★1 二子玉川小学校入口交差点
 (24)大山道の碑
 (26)二子玉川交差点


 NTT瀬田前交差点から先は二子玉川商店街となる。


 セブンイレブンがあった。


 ★1の二子玉川小学校入口交差点である。賑やかになってきた。


 正面の高架は国道246号線の新丸子橋である。


 ゆるやかな旧道カーブをさらに進む。


 突き当りの右側の飲食店の駐車場脇に大山道の碑があった。
78二子橋




 二子玉川交差点に差し掛かった。ここを右折して二子橋で多摩川を渡る。


 すぐ左側には東急二子玉川駅のホームがある。


 青空の下に多摩川が穏やかに流れている。


 電車が走ってきた。


 二子橋を渡り切り、川崎市側の二子橋交差点である。





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川崎歴史ガイド:大山街道ルート
二子の渡し
 二子橋の完成は大正14年。それまで、街道を行く人々はここ二子の渡しから多摩川を渡った。徒歩船、馬船。河原には茶屋、蕎麦屋。船待ちや川遊びで、渡し場は大いに賑わった。
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 橋が完成した時の人々の喜びはすごかったのでしょうね。渡し船の関係者にとっては悲惨なことかな?
【1 赤坂ー青山】  【2 渋谷ー三軒茶屋】  【3 三軒茶屋ー桜新町(新町線)】  【4 桜新町ー二子(行善寺線)】  【5 二子ー溝の口】  【6 三軒茶屋ー松陰神社(上町線)】  【7 松陰神社ー二子(慈眼寺線)】  【8 溝の口ー宮崎台】  【9 宮崎台ー鷺沼】  【10 鷺沼ー江田】  【11 江田ー青葉台】