かめかめ・かめラ
北海道妄想の旅1978
(北海道)
(1978/10/1-20)
【19 美幸線・名寄本線・宗谷本線】
(1978/10/19)(記 2018/1/26)
北海道妄想の旅1978:72美深〜仁宇布〜美深
【1】
1978年10月19日の旅(1)
【1】
【8】
美幸線は、計画では美深から仁宇布と歌登を経由し、オホーツク海沿岸で興浜北線の終着駅の北見枝幸を結ぶはずで、当初は2年前の開通を目指して、路盤、トンネル、橋などが完成しているが、現時点で開業時期は未定である。それどころか延伸計画は中止される可能性すらある。
【4】
沿線は豊富な森林資源に恵まれ、自然そのままの観光を楽しめる。美深が起点で、途中駅は東美深、辺渓(べんけ)の二つだけで、次が終点の仁宇布(にうぷ)である。全長21.2kmだが、辺渓〜仁宇布間だけで14.9kmもある。
【10】(美深駅)
【10】(美深駅)
美深町役場のすぐ近くにある美深駅の周りには木材の町らしく木工所がいくつかある。
【10】(東美深駅)
【11】(東美深駅)
【10】(辺渓駅)
【11】(辺渓駅)
美深を出ると宗谷本線を右に見て別れをつげ、木工所やてんさいの畑の中を東美深、辺渓と進む。
【10】(辺渓〜仁宇布)
【10】(辺渓〜仁宇布)
【43】(辺渓〜仁宇布:冬)
ここから森林の中を黙々と走り、ペンケニウプ川を五度渡ったりしながら終点の仁宇布へ着く。
【10】(仁宇布駅)
【9】(仁宇布駅)
【9】(仁宇布駅)
【10】(仁宇布駅)
【7】(仁宇布駅)
【7】(仁宇布駅)
【7】(仁宇布駅)
美深0705-0735仁宇布 美幸線 921D 【美幸線完乗】
そしてわずか7分の滞在で仁宇布駅をあとにする。
【1】
仁宇布0742-0808美深 美幸線 922D
北海道妄想の旅1978:73美深〜音威子府
【1】
1978年10月19日の旅(2)
【1】
【4】
美深から音威子府へ向かう普通列車は8時39分に到着した。ここで旭川行きの普通列車と列車交換してから8時43分に北に向かって出発した。名寄盆地の北端にある美深を出ると、左の天塩山地がいよいよ近づいてきた。天塩川は天塩山地と北見山地の間を蛇行しながら流れている。線路は天塩川を避けるように進む。この先、幌延で川と別れるまで一度くらいは渡るかと思うが、ついに一度も渡らないとは驚きだ。
(紋穂内駅)
初野を過ぎて右折し、築堤の上を通って川沿いに進むと紋穂内(もんぽない)に着く。
(紋穂内〜恩根内)
【43】(紋穂内〜恩根内)
紋穂内からも築堤が続く。天塩川によって東側の山地におしつけられているような形になっている。
(恩根内駅付近)
川が左に寄っていったところが恩根内。このあたりにはミズバショウの群落がそこここに見られる。
(恩根内〜豊清水)
(豊清水駅)
西北に進むと豊清水。
(豊清水〜天塩川温泉)
(天塩川温泉駅)
急カーブで右側の山をまわり天塩川温泉仮乗降場を通過する。駅にしても仮乗降場にしても板張りの簡素なものが多い。
(咲来〜音威子府)
北上して咲来(さっくる)を過ぎると谷はいよいよ狭くなる。その谷が開けたところが音威子府だ。ここから北へは宗谷本線が西側から、天北線が東側から、稚内へ向かっている。
(音威子府駅)
(音威子府駅)
(音威子府駅)
(音威子府駅)
美深0843-0922音威子府 宗谷本線 337D
北海道妄想の旅1978:74音威子府〜名寄
【1】
1978年10月19日の旅(3)
【1】
【4】
音威子府では9分後に函館行きの急行宗谷に乗り換える。音威子府から美深までの車窓は省略する。
(美深〜南美深)
(南美深駅)
美深から左へカーブをすると南美深へ。
(南美深〜智北)
(智北駅)
線路は東へ進み、智北仮乗降場を過ぎ、智恵文沼という天塩川の三日月湖を右手に見ながら智恵文(ちえぶん)へ。北星、智東と天塩川沿いの景色が続く。川を離れてしばらくすると日進。
(名寄駅)
そして名寄川を渡って市街地を走ると名寄盆地の中心地の名寄へ着く。
音威子府0931-1022名寄 急行宗谷 宗谷本線 306D
北海道妄想の旅1978:75名寄〜興部〜名寄
【1】
1978年10月19日の旅(4)
【1】
【4】
名寄を発車した列車は左にカーブして名寄盆地の東縁を目指す。中名寄を過ぎると左手に天塩川の支流の名寄川が近づいてくる。
【10】(下川駅:冬)
上名寄で谷が狭くなるがそれを抜けると小盆地が開け、矢文、岐阜橋を経て下川に着く。
【10】(幸成仮乗降場)
下川からは名寄川の谷間を登り始める。対岸に白樺林を眺めながら、二ノ橋、幸成仮乗降場、一ノ橋を過ぎると、名寄川を別れて国道239号線を並行しながら、25パーミルの急勾配を列車はゆっくりと登っていく。しばらくすると天塩と北見の境の天北峠に達するが、トンネルのないなだらかな切り通しとなっている。
【4】
ここからはオホーツク海に注ぐ興部(おこっぺ)川に沿って下り始める。
【10】(上興部駅)
【10】(上興部〜西興部)
【10】(西興部駅)
【9】(西興部〜中興部)
【10】(中興部駅)
【10】(中興部駅)
上興部、西興部、六興仮乗降場と、列車は河岸段丘の底を流れる興部川を何度も渡りながら下り、中興部を過ぎる。上興部では普通列車の名寄行きと列車交換のため7分停車した。班渓(ばんけ)仮乗降場、宇津を過ぎて、北興からは牧草地が開け、線路は一直線となって酪農の町の興部に着く。
名寄1045-1227興部 名寄本線 625D 【名寄本線完乗】
【HPから】(ほたてしめじ弁当)
【HPから】(ほたてしめじ弁当)
昼食は興部駅構内でほたてしめじ弁当を買い、待合室で食べる。やはり駅弁は旅情を引き立てる。
【1】
帰りは車内でウトウトしながら名寄に戻る。途中で目がさめると、上名寄で列車交換のため5分ほど停車していた。定刻に名寄に着いた。
興部1306-1450名寄 名寄本線 628D
北海道妄想の旅1978:76名寄〜旭川
【1】
1978年10月19日の旅(5)
【1】
【4】
名寄からは昨日も乗った急行天北で旭川を目指す。名寄を出ると、左に名寄本線を、右に深名線を分け、真っ直ぐに南下する。線路が右にカーブすると東風連。風連別川を渡り、畑や牧草地の中を南西に進むと風連となる。風連で名寄行きの急行なよろ3号と列車交換である。
(瑞穂駅)
左に曲がり瑞穂仮乗降場を越えると、真っ直ぐに南下して多寄、下士別となる。
(下士別〜士別)
天塩川を渡り市街地に入ると士別。
【4】
(北剣淵駅)
剣淵川と犬牛別川を渡って北剣淵仮乗降場を過ぎて剣淵へ。
【43】(東六線〜和寒)
この先、左にカーブし水田の中を東六線を過ぎて和寒へ。名寄盆地は和寒で終わる。
(塩狩駅)
【21】(塩狩峠)
和寒からはのぼり勾配となり標高273mの塩狩峠にある塩狩に着く。
明治42年(1909年)2月28日、国鉄の前身の鉄道員職員の長野政雄が偶然乗り合わせていた列車が連結器がはずれて客車が暴走しはじめた。長野政雄は客車の前に身を挺して暴走を食い止めた。もちろん殉職である。今から約10年前に、三浦綾子がこの事故を主題に「塩狩峠」を表した。
【4】
(蘭留〜北比布)
ここからは下り勾配となり左の蘭留山(らんる)を回り込み、さらに下ると蘭留へ。
(比布駅)
水田地帯を北比布(きたぴっぷ)、比布、南比布と進む。比布(ぴっぷ)がつく駅が三つ連続している。石狩川を渡り右にカーブすると北永山、永山と続き、左から石北本線が合流すると新旭川につく。永山で普通列車の稚内行きと列車交換した。
(旭川駅)
旭川四条を過ぎて右に90度曲がるとまもなく旭川に着く。
名寄1540-1657旭川 急行天北 宗谷本線 304D 【宗谷本線完乗】
【HPから】(日の出食堂外観)
【HPから】(醤油ラーメン@日の出食堂)
今日の夕食は日の出食堂。昭和22年(1947年)の創業で、今年で開店31年目となる。夕刻になると肌寒いので醤油ラーメンで身体を温めよう。
【HPから】(ぎんねこ外観)
【HPから】(串のフルコース@ぎんねこ)
【HPから】(ちゃっぷ焼き@ぎんねこ)
【HPから】(新子焼き@ぎんねこ)
まだちょっと小腹がすいているので、次に寄ったのは焼鳥専門店のぎんねこ。ここは昭和25年(1950年)の創業なので、今年で28年目となる。ビールを飲みながら串、ちゃっぷ、新子焼きと、食が進む。ちょっと食べ過ぎたようだ。今宵の宿は旭川ステーションホテル。北海道での最後の夜となる。なんだか名残惜しい感じだ。
【1 夜行で青森へ】
【2 道南8の字めぐり】
【3 松前線・江差線】
【4 岩内線・瀬棚線】
【5 胆振線】
【6 相生線・釧網本線】
【7 標津線】
【8 千歳線・日高本線・広尾線】
【9 白糠線・池北線】
【10 石北本線・富良野線】
【11 士幌線・根室本線・札沼線】
【12 興浜北線・興浜南線・渚滑線】
【13 湧網線】
【14 富内線】
【15 夕張線・室蘭本線】
【16 幌内線・万字線・歌志内線】
【17 深名線・留萌本線】
【18 羽幌線・天北線】
【19 美幸線・名寄本線・宗谷本線】
【20 函館本線】